脅し文句の効果についての考察
最近こんな事があった。
バイト先で電話をした相手が良い感じの人で電話を切ったら、社員の人に
その人他の店では「自分はやくざだ」や「刑務所に入っていた」等の事を言って威圧したことがあるらしいよと教えてもらった。
私は思った。
私はやくざである との表明にどんな効果があるのだろうか?と。
簡単に考えるとやくざとは暴力のプロであるからして、
それ以上何か言うとプロの技が出るよ という意味があるのだと思う。
暗に暴力の匂い、血の香りを漂わせる事によって
平和は人々の努力によって保たれているのが常であって、その努力を放棄したらこれすぐさま戦争状態
日本の教育では戦争をこれ忌み嫌うものとして散々叩きこんできた訳で、
いくら馬鹿の人であっても、戦争と聞くと
なんか嫌だなあだとか、
赤紙とか怖いなあとか、徴兵されるのダルいなあと
ネガティブな思考がされるので、
つまり私はやくざだという表明によって反戦の心を喚起させ、そしてその和平の努力は他でも無いあなたがするんだよ
そんなメッセージが私はやくざだよという言葉に込められているのである。
そこで私は思った。
わたしはやくざだよ というのは今の日本では非常に微妙な脅しなんではないかと。
というのも、やくざと取引をすることも法律で禁止されているこのご時世、
やくざである事のメリットよりもデメリットが勝ちすぎの感があるからである。
そして、TPOも考えて自分の力を誇示する方が効果が大きいと考えた。
例えばレストランで食べ物に髪の毛が入っていたとして、その対応があまりにもずさんだった場合
以前なら私はやくざだよ と言えば、店員はギョッとして店長を呼び店長は平謝りに謝り
最終的には示談。懐も暖かかっただろうが、
こういった時は
私は衛生管理局の者だよ と言えば、飲食に携わる人間であれば
瞬時にヤバイと思う訳であって、これはやくざだよと言うよりも効果が大きい。
暴力的な解決は嫌だけども、法的な解決はもっと嫌。
何故なら法律こそ最大の暴力だからである。
暴力は金で解決をみることも出来るが、法律は抵触した者全てに問答無用で罰を迫るからであって
そうなると営業停止、店長の左遷、バイトも首になってしまって
これはやくざのやり方よりも恐ろしい。
と考えたがこれは相手に非がある場合であって、やくざだよと表明する場合とでは若干の差がある気がする。
何となればやくざだよは、自分に非がある場合でも暴力でもって解決を迫るのであって
むしろ自分に非があった場合を考えた方が良いだろう。
では、
レンタカーを借りたけど盛大に傷をつけてしまった場合を考えたい。
この場合本来であれば、ごめんなさいして弁償であるが
私はやくざだよと言えば以前であれば示談で懐が暖かかった。むしろ傷がつくようなへっぽこな車を寄越したとして
慰謝料まで頂けた。
しかしこのご時世だと即通報。シャバに出るのは三年後となってしまう。
ではなんと言えば相手を威圧する事が出来るのだろうか
注意するのは、権力的に大きいと思わせる事と得たいの知れない感じであると思う。
1,私は金メダリストだよ
この場合、金メダリストは世界一なのであって少なくとも相手よりは何かの分野で秀でていると示す事が出来、また数多の競争を勝ち抜いてきた上にそれを継続してきたんだという得たいの知れない実績は、
金メダルを持っていない人からしたらば正に天上人。
相手がアスリートである場合効果は更に高く、どうやって金メダルを取ったかや金メダルを取った時の気持ち、金メダルは本当に柔らかいのか等興味は尽きなく
完全に相手よりも精神的優位に立てるだろう。
2,私はマラドーナだよ
この場合、私がマラドーナでない事を除けば効果的にはほとんど最強と言って良くしかも場所がアルゼンチンであった場合には、車の傷の事なんてすぐに忘れてサイン攻め、握手攻めとなってすぐに人だかりが出来る程であり、私がマラドーナである場合はまず真っ先にマラドーナだと相手に伝えるのが良いだろう。
とここまで考えて改めてやくざという言葉の深さに思い至った。
やくざという言葉の良い点は、見た目も実際の所も関係なくほとんど自己申告でやくざなのであって
そこには証明するものが不必要でありまたフィジカル的に優れていなくとも良く、見た目も関係ないとくれば
トラブルになった場合の最高の切り札であると言えそうだ。
大体において、金メダリストもマラドーナも汎用性が極めて低く
普通に考えて頭のおかしい人と思われるのが関の山である。
なので、
やはり私はやくざだよという言葉はある種のジョーカー、切り札と言って良く
トラブルの際には極めて有効な言葉であると認めざるを得ない。
使用の際の注意としては、あるトラブルにおいての使用のつもりが新たなトラブルを作り出す可能性があるという事で
これに関しては存分に吟味して使用した方が良さそうです。