「僕はビートルズ」を読んで

たった今 かわぐちかいじの「僕はビートルズ」を8巻まで読み終えた。

最近ネットでビートルズを知らないと言った若い子がおじさん達にボコボコにされるという事件もあり

ビートルズはもはや古典的なものだったり、音楽の教科書に載ってる様な存在だったりするようだ。

しかし私にとっても同じものだった。

小学校の教科書でビートルズの名前を知った様なものだし、親がたまたまビートルズに少し関心があっただけで

物心がついた時にはそれは最早存在していなくて、

田原俊彦は昔トップアイドルだったんだよ と同レベルの信じがたい蜃気楼の様なものだった。

私は残念ながら音楽というものに出会い、それの虜になってしまったから

ビートルズというものを意識して聴き始める事になったけれど

そういう経験が無ければ人生において音楽とは、もっと漠然としたものだっただろう。

ビートルズにおいても、オールディーズと一緒の意味しか感じない人もいるんだろう。

ただ、バンドをやってたり 音楽が好きとか自称する人でビートルズのCDを全部聴いてないというのは

これは不勉強である。

POPS全般の音楽が学問として成立出来ていない事がその問題を大きくしていて

学校で習うとしたら、小学校2年の時にやる掛け算くらいの必須科目であるはずだ。

意図を汲み取る事こそが音楽鑑賞の要だと以前に書いたが、

それを知るにはビートルズは最適の教材だからである。

何故ならビートルズの目的やベクトルがとてつもなくシンプルであり、かつ芸術の基本に忠実だからである。

簡単に言うと、

ビートルズは良い音楽を作ろうとし

誰にも出来ない事をやろうとした

たったそれだけの事だからである。

それを理解したならば、何故「ストロベリーフィールズフォーエバー」が出来たかも分かるし

「アイアムザウォルラス」や「トゥモローネバーノウズ」についても同様だ。

そして、1枚目から順を追って聴く事で

彼らがいかに成長し何を考えていたか、どこに向かっていたかが手に取る様に分かる。

成長を克明に記録したという点こそが、ビートルズの最も偉大な所であると思う。

かわぐちかいじ氏の漫画では、

1stアルバムの録音を全時代的選曲で行なってしまう。それを漫画内で

「ひとつのバンドの誕生から終焉までのすべてを表現したかのように…」

と語らせているが、

これはビートルズの持つ一番の魅力を失う結果になるんだと思う。

良い音楽とは何か?

これについての答えは人それぞれあるだろうが

それについて各アルバム毎の隔たりを持って答えを出している芸術家は少なく

選択的な結果ではなく、これしかないんだ というところまで記録出来たのは

ビートルズをおいては、マイルス・デイビスジョン・コルトレーン等のJAZZ音楽家くらいしか無いんじゃないかと思う。

例えばレディオヘッドで言うなら3枚目までは確実に成長している。

これしかないんだ という強い方向性を感じる。

しかし4枚目で表現は一気に陳腐になり、自分の中から出てきたものではなく

ただ単に借り物のスタイルで新しい事をやっているだけであって、

そこには進化が無くただただ退屈な変化があるだけだった。

ビートルズに対する誤解は、今後増々深まっていくだろう。

「僕はビートルズ」という漫画がそれを解く最高のテキストになることを切に願う。

追伸

漫画内でのビートルズコピーバンドはファブフォーという名前だけども、彼らがビートルズになれない大きな理由は、アンソロジーを作れないという点であってそれに対してかわぐち氏がどの様な答えを出していくのかがとても気になる。