坂本龍一ロック説

ロックとは何か?という問いに対して町田康はエッセイでこう的確に表現した。

それはつまり「反」であると。

そういう点から言うと、坂本龍一は正に今現在ロックだなあと思う。

ついでに大江健三郎も忘れてはならないかもしれない。


坂本氏は、原発は嫌だから反対だ。具体的な事は私が考える事ではないとして

対案も、廃炉後の見通しも、具体策もないままにただ反対している。

極端に言えば、こういった姿勢が正にロックなのであって

故に、10代のうちは許されるが

20代を過ぎて尚ロックを体現する事は難しく

磨かれていく、枯れていくという人間の摂理と共存する為に

多くの人は次第にルーツ・ミュージックに傾倒していくということまで

町田康は看破している。


有名になったり、テレビに出たりすると

ファンだった人がファンを辞めるなんてな事があるが

これをマニアックな物が好きな自分に陶酔しているだけ と言うのは早計で、

むしろ、売れたり有名になったその過程で生まれたファンとの別離が目的であって

例えば、

菊地成孔信者、ラーメンズ信者、ジム・ジャームッシュ信者

と並べてみて湧き上がる何かが無いだろうか?


可愛い娘がミスチル好きだった時の、

あー、へー、そうなんだー

という無色透明の感情。

普通だけど、普通じゃない。

この紅葉のグラデーションの様な繊細な機微。

つまりは、

何かに熱狂している、心酔している人間は怖いという事かもしれず

古谷実わにとかげぎす」において、

俺は何かの魔力に取り憑かれた人間の言葉は信じない という言葉も、

説得力のある言葉として胸に響く。


ロックが成立しづらくなった理由の一つには、現代が非常にモラルに厳しい時代になったからだという気がして

というのも、トゥイター いわゆるツイッター炎上問題で、

短絡的にあれを見るなら、若者のモラルの欠如だ知性が足りないだと言えなくはないが

むしろ、それが一々炎上している事の方が興味深い。



音楽、映画、文学、芸術 各方面に様々な伝説があるが

そういったものの半分は、法に触れそうなもので、

ジョン・レノン小野洋子独占問題 だとか、

レッド・ツェッペリンの信号を見つける度に石でぶつけて壊すIN JAPAN だとか

ハードロック界隈は、暴力と破壊行為抜きでは語る事が不可能であり

80年代以降は、世界的に気狂いが偉い という謎の風潮があって

今では、そういった事をしたらすぐに叩かれる世の中に収まった。

自然、表現者は作品でのみ表現する事を課され

新たな伝説が生まれる事も無く、ついぞ

ロックは新たな価値観を作り出せず

坂本龍一大江健三郎という二枚看板が

ロック活動=左翼活動 として今現在息巻いている。

ピース