ちんこの出し方論

ちんこ と唐突な書き出しで申し訳ないと思う。

ある人は大きなちんこだな と思ったかもしれない。

通常の ちんこ はこちらであるので、通常よりも大きいなと感じただろう。

本来いきなりちんこを出す場合、

こちらの ちんこ 小さな方を出すべきであったかも知れない。

この様にいきなりちんこを出す事は、その大きさタイミングに対しての配慮が必要な事が分かったと思う。

では、そのタイミングについて最適な位置を考察したい。


例1,伊坂幸太郎「重力ピエロ」的ちんこの導入部




ちんこが二階から落ちてきた。




こういう風に冒頭にちんこを持ってくるといきなり、キタなという驚き興奮が生まれると感じた。

状況からもサスペンス性が高く感じられ、猟奇事件の幕開けというに相応しい書き出しであると思う。

ビートルズがサビから曲を始めたのと同じ効果で、she loves you同じ構造であると分析する事が出来る。

ただ、印象が強いというメリットの反面複数回の使用に耐えられない飛び道具的な手法である事も考慮しなければならないだろう。

毎回ちんこから物語が始まっては、

どうせちんこ出すんだろう と思われるし実際出ていた場合も

やっぱりちんこが出ていた と確認されるだけであって、当初効果があった

驚きと興奮が無いのでは使用する意味がほとんど無く

ちんこを出す為にちんこを出している状態 といえ、手法が目的化してしまい

これはやはり、一度の使用で止めるべきものだと思える。



例2,川端康成「雪国」的ちんこの挿入



国境の長いトンネルを抜けるとちんこがあった。



うむ。まだ2つ目の例であるが、これもサスペンス事件の香りが異常だと感じた。

何故だろう?と考えてみたところ

普段ちんこはそれ単体で存在するべきものでは無くて、人間のオプションとして付いているものであるのに

ちんこ というそれだけが存在しているこの状況では、すぐ様本来あるはずの男性の存在を想起させ

それがこの圧倒的な阿部定を彷彿させる原因であると感じる。

そうすると結局

どうせ猟奇事件だろう と思われるし、やっぱり猟奇事件だったと言われてしまう。

そこで、若干の修正 (この場合はモザイク・ぼかしという意味では無く文章の推敲という意味)をしてみる。



国境の長いトンネルを抜けると男性がちんこを出してあった。



どうだろう?個人的には、

牧歌的 というより無い光景が想起された。のほほんと言い換えても良いだろう。

あぁ おっさんが立ちションをしているのだな もしくは、

これから立ちションをするのだな と読み取れ、先程まであった猟奇性はどこへやら

さらにトンネルという言葉が女性のメタファーとなって、何というか

詩情 慕情 故郷 そういった言葉をイメージする。

ちんこはいつも一緒だよ そういった声が聞こえてくるし、

ちんこ単体で存在する事がいかに恐ろしいものだったかが理解出来たと思う。

では最後に、文末でちんこを出すとどうなるか検証したい。



例3,井伏鱒二 漢詩「勧酒」的おまけのちんこ



花に嵐のたとえもあるぞ

サヨナラだけが人生だ。ちんこ



もう何だろう、積み上げた努力・時間そういったものが全て無に帰す様なこの脱力感

落書きだとか思いつきそういった言葉を思い起こさせるこのストリート感

生きていた文章が最後のちんこで死んでしまった。

さっきまで、ついさっきまで生きていたのにだ!

という悲しさに溢れてはいないだろうか。

ちんこがあるか無いか?

それは男性女性か?という問では無く、

もはや、生きるか死ぬか!それが問題だ!

というべき大問題だったのである。


男性諸君、

そして男根諸君、さあ今こそ立ち上がろう!