得意料理肉じゃがの戦略性とインターネットカラオケマン

得意料理は肉じゃが と聞いても然程の違和感を感じさせなくなって古く、

私が物心ついた時には、既に芸能方面において定着しつつあり、近年ではそれが広く一般に浸透したと思える。

得意料理 肉じゃが 

における違和感の元には、対になるべき

好きな料理 肉じゃが

というものが世間に浸透していない事に端を発する。

肉じゃがの供給過多と言えない事は無い。

本来、好きな料理で上位に来そうなものを作るのが得意である方が理に適っているのは明白。

何故ならば、得意料理というのはセックスアッピールの1条項であるからで

そこから考えると、肉じゃがというのは実に冴えない解答の一つに思える。

しかし、更に深く考えると実にタクティカルな面も持っていて

肉じゃがにおける正解が不明瞭である という事がそれを補強している。

つまり、

カレーライス ハンバーグ 牛丼 等といったものには、一般的解が容易に求められるという面があって

これは、カルピスに対するカルピスウォーターと同様の関係にあり、

ボンカレー びっくりドンキー 吉野家

といった外食チェーンは世の中の一つの基準として現在鎮座している。

ところが、肉じゃがの場合

そもそもご飯が進みにくい事もあわせて、外食における選択肢に上がらない

いわゆる家庭料理であるのであって、

男子がこれを食す際に基準となるのは、母の味という事になってくる。

その上、率先して食す動機を持ちづらい点から

肉じゃがに対する情熱、カロリーは低く多くの男性は肉じゃがに対して特別なこだわりが無いと考えられる。

つまり、肉じゃがを提供する際の評価の高低は

母の味と比べてどうか ただこの1点に尽きる。

更に、これを補強する材料として

1992年放送 「ずっとあなたが好きだった」における佐野史郎演ずる冬彦さん現象というものがあって

ザコンは何か駄目な気がする と世間の男子は胸に刻んだので

仮に、母の肉じゃがの方が断然おいしくとも

公的場面において、「母の肉じゃがの美味さ」を説く事は難しく、

自然、肉じゃがを提供された場合の男子の解答は

「おいしい」の一択となり、それを真に受けた女子が世の中に氾濫。

現在の得意料理肉じゃがのポジションは不動のものとなった。


ここ最近の歌い手バッシング、所謂インターネットカラオケマン騒動は逆に、

その手軽さ、敷居の低さにおける非難が根本にあって

例えば、

ボンカレーを温めてご飯にかける行為を料理と呼ぶのか?

カップラーメンにお湯をかける行為を料理と呼ぶのか?

といった根源的な疑問を内包していて、

つまり、カラオケを歌うという行為が果たして

それは富と名声を得るのに値する行為であるのか?

といった問題を生み出していて、

演歌歌手を始め、作詞作曲に携わらず歌を歌ってお金を稼ぐ人達と

カラオケを歌う人 の差異はどこにあるのか?という問題に発展している。

その際の、俺達歌い手もプロ並に喉の管理をし録音の際の様々な問題もクリアしているのだ

といった発言で電子世界は炎上し、歌い手=インターネットカラオケマン という言葉が生まれた。

歌い手の発言を吟味すると、

歌手に更にエンジニアとしてのプライドを乗っけている事が見受けられて

それが歌手と歌い手の一線を画すものとなっている様に感じる。

私も宅録歴10年以上となるので色々と録音の際の面倒は分かる。

エアコン及び、部屋の電気等の電気を使う物全般はノイズの発生源となるし

喉には水分も重要であるが、油分も重要なのでお茶よりも水が良く

冷たい水は喉の筋肉を収縮させるので、温い水が最も好ましく

マイクにおけるパピプペポの発音の際は「吹かれ」という現象が発声するので、風防を付けるが

その際、中高音域が失われるので最終的に失われた帯域を足してやる とか、

さしすせその発音には、耳障りな高音となり易いので声量を抑えるか空気成分を多めにして発音する とか、

歌い手でありながら、録音エンジニアも兼務する人間特有の技術的問題は多く

そしてそれがプロ意識の様なものを生み出し、しかしそれをこそ笑われている。

そういった技術的問題も、ただのカラオケじゃないかと一喝。

ぐうの音も出ねえよ といった状況。


そして、歌い手における最も重要な問題は

昨今の邦楽のカバー曲の多さに辟易としている人々が多い現代にあって

カバー曲を乱発する世の中があるのだからして、

インターネットカラオケマンも歌手も大した違いはないと思われるのも無理は無く

それに拍車をかける関ジャニの仕分け∞のカラオケ対決であり、

歌い手問題は、

カウンターカルチャーなんかではなく、ただメインストリームの流れがそのまま野に下った結果と言え

J-POPが下らないと思う人が多数いるからこそ、今の音楽業界の凋落があるのと同様に

歌い手を下らないと思う人が多数いるのも当然で、

そういった歌い手下げの人が、ではプロの歌手上げかというとそうでは無い所にこの問題の面白さがあると思う。


肉じゃが問題においては、解答の無さに漬け込んだ悪の所業

歌い手問題においては、滑稽なプロ意識のその目指す所のプロこそが滑稽じゃないかという問題と

そういった風に見る事が出来る。


とさり気なくエンジニア気質を覗かせながら