好き嫌いで見える個性の考察

以前こういう事があった。

姉と姪っ子と私で街を歩いていた時のことである。風船を配っている人がいて、それを見て姪っ子はテンションがMAXになり

そしたら姉は間髪いれずに、

「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ…」と呟き出したのである。

どこかに使徒が出現したのかと思った。

しかし姪っ子は当時3歳か4歳くらいのものであって、それは情熱的に風船を欲しがったのであった。

姉は絶対に嫌だと断言したが、姪っ子も譲らなかった。

話を聞くと姉は風船が大嫌いらしい。

二人を見て

私は風船を欲しがるなんて子供だなあと思いながら、

風船をこんなに欲しがらないのもまた子供の様だなあと思っていた。

姉とは30年程の付き合いになるが、風船を嫌いだとは全く知らなかった。

風船一つで、大好きな人大嫌いな人どうでもいい人

三者三様のスタンスに至ったのが私には興味深かった。

個性というものは至る所で発揮されるのだなあと感慨深かった。

それからというもの、風船を見ると姉と姪っ子を思い出すようになった。

今、エグザイルAKB48だといった大所帯グループが幅を利かせている。

彼らを見た事が無い人には信じられ難い話だと思うが、

たぶんP-FUNKより人口が多いと言えば、その人数の多さが分かるはずである。

私には最早誰が誰だか分からない。

柄の悪い人達の集団だった場合、それをエグザイルとし

制服を着た人たちならそれをAKBとする様な極めて曖昧な判断をしている。

これはグループに限った事ではなくて、

ピアノを弾いて歌ってる外人がいた場合、それが

ビリー・ジョエル なのか

エルトン・ジョン なのか私には判断がつかない。

どっちでも良いじゃないか そういう意見もあるだろうが、

仮りにピアノを引き終わった彼らに酒を誘われたらと考えるとどうだろう?

私は音楽をやっているので、それは大きなチャンスとも言えるが

当たりを引いた場合ニューヨーク進出が夢ではなくなるが、

ハズレを引いた場合、枕営業という言葉が浮かぶのである。

これは非常に大きな問題だろう。

この様に人には見えない趣味趣向があって、しかしそれは埋没した個性である。

人は物凄く大雑把な所でいろいろな判断をするし、

それは判断を迫られる事が少ないという事でもある。

例えば、

パフュームの中で誰が好き?と聞かれる事はあっても


ルーマンの中で誰が好き? とはあまり聞かれないものである。

だからといって、イコールそれはブルーマンの中に役割や個性が無い訳ではないだろう。

彼らの中にも右翼・左翼・タカ派ハト派があるはずで

それについて考える事は人を考える事である。

優しさとは想像力である。そして、冷たさは無関心からくるだろう。

私はライブで人々に対して歌わない。

そこには、人の集まりがあるだけであって

音楽でビートを与えて初めて人は人々になるんだぜ

と言いたいが、我々のライブに来る人が少ないという批判もまた正しいし

一人一人を認識出来るくらいに人がいないという事実には

個人的に無関心を決め込んでいるのもまた事実なのである。