何故お湯がすぐ出るのかの考察
最近疑問に思っている事がある。
私は毎日コーヒーを飲むのに薬缶を火にかけるのだけど、沸騰するのに大体5分以上かかる。
その時に、お湯でカップを温めておくのだけど
蛇口をひねってものの10秒程でお湯が出てくる。
私は思った。
早過ぎねえか?と。
これが夏であるなら私は何の疑問も持たなかっただろう。
しかし今は冬。米を研ぐ時なんて、歯を食いしばって下の様な顔でやっている。
こんなに冷たい水が、あったか〜い感じのお湯になるのに10秒というのは
薬缶でお湯を沸かすのに比べて異常に早いと思うのである。
これが実家であるなら私はここまで疑問に思わなかった。
実家には、ボイラーというものがあるからである。
鉄人28号を小さくした様な、釜と呼ぶのに相応しい存在感である。
それについても詳しくは分からないけども、何となくこいつはやる奴だ
くらいには信頼しているし、
音も大きく全力で温めている感じが伝わってくるのだ。
しかし、
今ここの家にはそんなボイラーなんて無いし、音に関しても無音と言ってよく
私には全くKIAIが伝わってこない。
そこで私は高校時代ランチョンマットの語源を
ランチ オン マット
であると看破した様に、いくつかの仮説を立てて何故こんなにもお湯が早く沸くのかを考察したい。
1,お湯は既に湧いていた説
これは音が全くしないという点から推察出来る仮説である。
火を炊いてお湯を沸かしている様子が無い事から、蛇口を捻る前からお湯は湧いていたとする説で
誰もお湯を使わなかった際、熱量の維持費が物凄くかかるんじゃないか?という点を除けば現在最も有力な仮説である。
いわゆる出来レースである。
2,ボイラー以外の未来の機械説
これは私自信給湯関係の知識に乏しいという点から推察出来る仮説である。
実家に住んでいたのはもう10年近く前になるので、それ以降技術の進歩によって
ボイラーの様に大きな装置が無くとも、瞬時に無音でお湯が沸かせる装置が開発されただろうという説で
ボイラーに夢を見過ぎ、希望的観測過ぎる、思考停止じゃないか?という批判にさえ目をつむれば本命と言っても良いくらいの仮説である。
いわゆる技術革命である。
3,薬で無理やり熱湯にしている説
これは蛇口から出てくるお湯が白い事から、何らかの薬品を混ぜて熱湯にしているのだろうという仮説である。
水は透明なのが普通なのに、あからさまに白いのはどう考えても道理に合わないだろうという説で
その薬品が何か分からないという点と、それは最早水とは呼べないんじゃないか?という点と健康に悪いんじゃないか?という点を無視すれば
まあ無くは無い仮説である。
いわゆるドーピングである。
4,見えないボイラー説
これはやっぱり技術的には大した進歩もないだろうと給湯界を舐めている姿勢から生まれた仮説である。
ボイラーの技術はこの10年で発達しなかったが、ボイラーを隠す技術が発展したんじゃないか?という説で
ではそのボイラーはどこにある?という疑問と、音まで隠せるものだろうか?という疑問、現状維持的な停滞感を無視すれば
まあ一番現実的かなという仮説である。
いわゆる神の手である。
5,気のせい説
これはお湯が沸くのが早いというのは実際気のせいで、本当は結構な時間がかかっているんじゃないか?という仮説である。
この10年でボイラーも歳を取ったが、自分も歳を取った。歳を取ると月日が流れるのが早くなるよねという説で
じゃあ始めから疑問なんて無かったんやという点と、歳を取った事を認めたくないという点を除けば
あるっちゃある仮説である。
いわゆる気のせいである。
6,自分が冷たくなった説
これは世の中のもの全ては相対的に価値が決まるという世界観からの仮説である。
お湯は温かいけど、それって自分が冷たくなったんじゃないの?という説で
蛇口を捻る事と自分が冷たくなるという関連性が希薄な点を除けば、今の時代なら十分あり得る仮説である。
いわゆる電車が発車したと思ったら隣の電車が発車していた状態である。
7,心頭滅却すれば火もまた涼し説
これは世の中の物事は全て、心の持ちようで変わるよという仮説である。
気持ち次第で火が涼しいのであれば、水も温かく感じるのは当然という説で
蛇口を捻った瞬間に毎回自己暗示が必要な事を除けば、仏教徒なら出来て当然と言える仮説である。
いわゆる先入観である。
以上多数の仮説を立ててみたが、どれも決定打にかけるなと感じた。同時に複数の説が成立している可能性も考えられ
これ以上真理に近づく事は不可能だと感じた。
引き続き真理の探求に勤めたく思う。