思想は果たして重要か

誰も天才を望んでないのさ

なんてな言葉があって、10年前はそんな馬鹿なと思っていたものの

なるほど。しかし一理ある。大江千里あると思うのは、

例えばオリコンチャートに見るAKBにもエグザイルにも誰も天才性を求めていないのであって

なんてな書き方をすると知ったような口を聞くな痴れ者がと言われるだろうけども

肌でビンビンに感じるので仕方ない。

音楽はライブの時代に入った なんつう寝ぼけた話にしても、

これは結構由々しき自体であり、それ見たことか

曲も書けない自称音楽家達が、さっきヒットした曲を恥ずかしげもなくカバーしている。

由々しき自体でも何でもねえずら

クラシック音楽だって原初においては即興音楽であり云々と言う猿もいるのだけども、

ちょ待てよ

と言いたい。アンプのゲインをフルテンにして言いたい。

録音されたものは、永遠の命を持つと僕たちは信じたのじゃないか

ライブライブと言っていかにもそれは奇跡的な体験であると嘯いても、

良い曲がそこに無いのであれば、それは果たして何なのか。

というのも、ライブを成立させるのは体育会的資質であり

あくまでもフィジカルが支える肉体芸であって、

というとすぐに、

ねえ キース・ジャレットは?

ねえ キース・ジャレットはどうなの?

と耳元で大きな声を出すアホがいるのだけども、

外出先で日々の鍛錬の成果を発表するという点において、

それはどう考えても内向的活動では無いのであり、

では翻って作曲及び、録音というのはどういう性質のものかというと、

ひたすらに内向して、日光を遮って、資料をめくり、日々の実験の成果を積み重ねていく内的活動であり

今現在音楽家は、これを両立しないと陽の目を見ないばかりか

シフトシフトで出費出費である。

とここまで書くといかにジャズが卑劣で卑怯な音楽かお分かり頂けたかと思うのだけども

全然話は変わって、

日本の左翼はベーシック・インカムを軸に論理を組み立てたら

この時代なら結構支持する人もいるんじゃないかなあと

三木聡映画を観てのんびり生きていきたいものだと右手で団扇。

もうアマゾンで黙々と音源を売るかな と必死に団扇。

そのうち、実家に帰省した際の変な話を書こうかしらねと団扇。

時効警察を観て

前回、「藤原竜也物語〜ST赤と白の捜査ファイル〜」を拝見したものの

1話終了で頓挫。

面白いドラマを探していたところ、前々から気になっていた時効警察と対峙。

オフビート と聞くと堤幸彦を思い出して苦い味が広がるのだけども、

1話を観たところ全編に漂う亀は意外と速く泳ぐ感じがあって、悪くない。

動く麻生久美子を今更ながら確認し、やっぱり顔の骨格と声というものには相関関係があるのだなと思い

麻生久美子の声が誰かの声に似ていると感じ脳内に検索をかけたところ、吉木りさ

吉木りさ麻生久美子の骨格においての類似点はおでこ。

しかし動く麻生久美子を観ているともっと別の誰かに似ている感じがあって、

脳内を更に検索すると加護亜依

加護亜依もやはりおでこ。私はひとり膝を打った。

そう考えると、剛力彩芽ダルビッシュ有の声も似ているはずというか

似ていなければおかしいのだけども、私の記憶の中にはダルビッシュ有の声は無であり

こうして文章にしたところで私の捜査は終了。

これを読んだ誰かが、ダルビッシュの声を聞いた時に剛力彩芽を思い出して頂ければ幸いで

ビジュアル的に全然似てねえよ と思った方もいるかと思うのだけども、

首。首から後頭部にかけてのライン、及び頭蓋の大きさに注目して頂ければ幸い。

ダルビッシュと剛力のフォルムは似ている。


現在、帰ってきた時効警察の4話を鑑賞途中なのだけども1点。

シーズン1の途中から薄々感づいていたものが私の中で言葉になったので、こうしてキーを叩くのだけども

時効警察には裏テーマがあるのだなというのは、

ゲスト女優の皆様の存在である。

奥菜恵、葉月里緒奈、緒川たまき と3人並べると

正に女優としての時効を感じさせるメンツである。

時間を経て効力を失った女優達が時効警察を支えていると気づいたのだけども

ドラマ内での彼女達はむしろ輝いているし、美しく映るのは

製作者の愛故の事だと私は思うし、それこそが裏のテーマではないかと思うのだけども

皆様はいかがお過ごしだろうか。

あと、吉高由里子夏帆も顔の造型と声が似ていると思ったが

吉高由里子の喋り方がアレなので気づいている人はあまりいないだろうなと思った。

ST 赤と白の捜査ファイル第一話を拝見して

香取慎吾も大概だが藤原竜也も大概なもので、

しかし舞台的演技をテレビや映画で観れるという点で

舞台というのは奥が深いらしい という距離感のまま、

良く分からないが舞台というのは、テレビとも映画とも違う何からしいと説得させられる

納得させてくれるという意味で藤原竜也は凄い。

現実にそんなシャブを打ったみたいなテンションの人間はいないのでリアルじゃない

みたいな批判はテレビや映画の様なそもそもが虚構であるものに対して力を持たないように思わせておいて

例えばデスノートにおける松山ケンイチ(L)の在り得なさと

藤原竜也の在り得なさの戦いでは、


顔色が悪く、変な化粧をしていて、物の持ち方が変で、若いのに何故か圧倒的権力を持つ等

リアリティの欠片も無い人物設定であるにも関わらず、

映画内リアルにおいては、断然座りが良いのが松山ケンイチであり、

ちょっと頭の良い普通の学生さんという人物設定の藤原竜也の方が、

何かやたらテンションが高い印象で、

喜怒哀楽が激しいというよりは、中間が無い状態

喜ぶ時は100%の喜び、怒る時は100%の怒りという感じで、

じゃあ中間の状態は無いのかというとそうではなくて、

普通の状態の時は、100%の普通の状態という感じで

確かにシーン毎に藤原竜也に持っていかれている感じはあるのだけども

ディテールに凝りすぎて何を言いたいのか分からなくなってしまった例え話のような

ディテールに関しては分かったけども本筋や文意が喪失してしまったかのような

そんな不思議な感覚に陥ること山のごとしで、

ST というドラマにおいては、藤原竜也だけに留まらず

志田未来他、亀田次男みたいな顔の役者等も

極端な人物造型が成されていて、はっきり言って

視聴者を馬鹿にしているというよりも、

視聴者というのはこのくらい馬鹿なのだろうな という感覚で作っているのだろうと感じられ

演出も非常に視聴者を馬鹿にしているのだけども

最後のシーンがバーで渡部篤郎とほっこりするみたいなのは、

少しだけはぐれ刑事純情派っぽくて良かった。

サイコパス、平和、Ⅸ畳、安田保険

サイコパスというアニメを今観終わった。

全ての役に声がハマっていて大変良かったものの、

オープニングもエンディングも何らかの事情で糞みたいな曲を流さなければならない模様で

エンディングの曲に被せて少しストーリーが続く演出の所為もあり、

オープニングの凛として時雨をようよう回避しても、

最後のしょっぱい曲はどうしても聴いてしまう構成により、

わたしのサイコパスがガンガンに濁り赤褐色の沈殿。

全部を観て腑に落ちない部分が上昇。

現在久々にキーをタッチしている。


世間では安保安保と盛り上がる中、

サイコパスにおける主役 常守朱(つねもり あかね)が日本という国の擬人化だったのかなと

今このもやもやに答えを出そうと躍起になっている。

まずこのアニメには「サイコパス」という精神の状態を数値化したものがあって、

精神状態が悪くなる事をサイコパスが濁ると表現し、

それによって犯罪係数というものが上昇し、

その値が100を超えると発泡が可能な銃を警察は所持してあって、

それが300を超えると銃はトランスフォームして、

対象をぶっ殺すという まあそういう設定なのだけども

主役の常守は犯罪係数が20くらいで常に安定してあって、

その精神のクリアさが彼女の才能として描かれていて

目の前で友達がぶっ殺されたり、同僚がぶっ殺されたり、他にも酷い目に遭いながらも

犯人に対しては遵法精神のゴリ押しで頑張るのだけども、

果たしてそれは精神状態がクリアなのか、私にはよく分からない。

特に私がおやっと思ったのは、

目の前で友達が殺されそうな時に、犯人を殺せば友達を救えるというその時に

持ち前の遵法精神でむざむざ友達を殺されるという場面で、

左から非常に思想臭が漂ってきて、画面も真っ赤に血で染まるのだけども

それを恰も良い事のように描くっつうのはこれ、本広克行だからなのか。

そして、犯罪係数が上昇しない常守自体は常に銃で発泡される危険が無く

自分の安全が保証された上で周囲の悲惨な状況に対し遵法精神を発揮するっつうのは、

これただ単に鈍感なだけなのではないだろうか。

つまり自分に銃身を向ける者がいるからこそ警察は武装するのに、

犯罪者に対してその場で射殺をするのでは無く、法で裁くんやで!と言ったところで

そらお前は安全やからな としか思えなく

そういった諸々が安保法案や九条や現在のこの国とだぶって見えた

そんなアニメですた。

「予告犯」を観て ネタバレありますよ

ほとんど毎日のように映画を観ている。

鑑賞後駄目な映画を観たなあと思った時は、淀川長治先生の言葉を思い出し

それでも何か良い部分があっただろう?と自分に聞いてみると

やはり何かしら良い部分はあるのだけども、良い部分があるだけに

製作者の詰めの甘さを呪い、クオリティーの奴隷になれなかった制作陣のその魂が憎くもなる。


「予告犯」を観た。

駄目だなあと思った部分が結構あって、鑑賞後宇多丸先生の評論を聞き

駄目な部分のほとんどが原作由来のものである事が発覚したので怒りのやり場に困るものの

長い追跡シーンは非常に良かった。


戸田恵梨香生田斗真の境遇が似ているにも関わらず

一方はテロリスト(思想は無い)もう一方は警察官(エリート?)であるのだけども

戸田恵梨香生田斗真に対して頑張りが足りない的な事言うし、

幼少期の戸田恵梨香が川に飛び込もうとするものの、その決意を変える事になる描写は皆無で

つまり何となく死のうと思ったけど、頑張るぞという気持ち?でそれを乗り越えるという演出があって

はっ!? 頑張れば何でも解決するとか、今日日少年ジャンプでもねえぞと

少年ジャンプを読んでいないのに、私は怒りに震えたのだけども

この追跡シーンは、ただひたすら自分の足で応援を呼ぶ事も無く

戸田恵梨香が延々生田斗真を追いかけるだけというものであり

しかも超人的な脚力を魅せる訳でも無く、文字通り根性だけで追いかけるというもので

そして本当に素晴らしいのは実際に戸田恵梨香がどんどん疲れていく演出もあり

後半の追跡は本当にスピード感が失われ、文字通りダラダラと追いかけっこするだけとなって

はっきり言ってこのシーンは本当に素晴らしいと思った。

本当に本人の頑張りや根性だけで生きてきたんだなあという感じで。

しかし良いシーンはこれと、序盤の荒川良々の免許を見せろ→いらないの部分だけで

映画自体のテンションは後半に行くにつれてどんどん下降線をたどり

役者の演技は本当に素晴らしいのだけども、原作がそうならしょうがねえ

というか何でこんなもんを映画化しようと思ったのか

私は「メイズランナー」から「予告犯」と駄目な映画ばかり引いている。

トゥモローランド」はきっと私の魂を救ってくれるはずだと

映画の神様に現在祈りを捧げている

カナブーンと下衆の極み乙女を真面目に聴いてみた

現在ガンガンにギターを歪ませて、ロケンロールしているところ

進行形のジェイ・ロックを聴いて学力の向上に励もうと、

カナブーン 代表曲 とグーグル先生に打ち込んだところ便利な世の中。

ゆらゆらゆらゆら みたいなサビの曲を聴いて思うのは当然

モンキーズ「Steppin' Stone」の系譜の曲であるということ、

つまりそれは久宝留理子「男」やミッシェルガンエレファント「バードメン」と同じラインにある曲という事で、

その辺の事は以前書いた気がするので割愛するけども

まあ 作曲的に新しい試みがある訳では無かった。

そして次に聴いた曲は、フルドライブと連呼する曲で、

その疾走感から「聴いたら走り出したくなる曲」というキャッチがついてあって

PVを観ると実際人が走っているので、そのまんまやんけと思うものの

ちゃんとサビまで聴いてみたところ、私の脳内メロディー倉庫に反応が感じられたものの

いわゆる名曲と呼ばれる類のものでは無い感触、記憶の片隅のどうでもいい曲の倉庫にある感じがあって

ようやっとひねり出したので比べて聴いてみると良いと思う。

カナブーン「フルドライブ」


そして次は


って歌ってるの誰やねん!

しかも再生回数7万って何やねん!と思った人もおいででしょうが

ちなみにV6「メイド・イン・ジャパン」という曲ですね。

まあこの曲に関しても作曲的に新たな試みはなされていませんが、

2曲に共通する部分も発見しまして、続いて下衆の極みも何曲か聴いてみたところ

この2つのバンドにも共通する点がありましたね。

たぶん世間的には踊れるロックという事でしょうが、

4つ打ちキック+裏打ちハイハット のドラムが多様されております。

4つ打ちキックが現在の形で使われる様になったのは、

クラシックを除くと、

ビーチ・ボーイズ「サーフィンUSA」で既にその萌芽があるので大分古いでしょうし

クラフトワークとかニューオーダーを入れるとややこしくなるのでやめますが

たぶん直接の影響元はこの曲あたりになるのかなと思います


XTC「Generals and Majors」


10年程前私がロックバンドとして音楽を作っている際から既に

向井秀徳先生が雑誌「スヌーザー」だったかで最近聴いてる音楽は、

XTC「ブラックシー」とビートルズホワイトアルバム」と長渕剛

と言っていたくらいですし、その頃ミュージックと言うバンドがエゲレスから登場したのもあって

ニューオーダーの様に、ロックバンドがダンスミュージックをやる際にエレクトリック化していく方向性での進化

つまり、くるりスーパーカーが辿った道とは別のやり方

ロックバンドがダンスミュージックを人力で再現する方向性というものがあって、

それはたぶんストーン・ローゼズに近い方向性なのでしょうけども

それがより露骨に今現在ジェイ・ロックの主流になっている気がします。

作曲に関しても、メロディーがどうとか歌詞がどうとかよりも

いかに効率良く4つ打ちキック+裏打ちハイハットの見せ場を作れるか で勝負しているように感じられますが

シンプルなビートは一聴して理解する事が出来る反面、

理解する事の快楽、つまり分からないものが分かった時の快楽が全く無いので

そうそう持続はしないのではないかと思います。

パンクロッカーでさえパンクに飽きてニューウェイブ化するのですから(ラモーンズは除く)

キャシャーン

現在「アメイジングスパイダーマン2」鑑賞直後であり、その圧倒的な素晴らしさと

先日拝見した「キャシャーン」の怒りを元にこうしてキーをタッチしている。

この1週間で「GOEMON」「キャシャーン」「X-メンフューチャーアンドパスト」「ネブラスカ」「ローンサバイバー」「アメイジングスパイダーマン」を観たのだけども

ローンサバイバーの素晴らしさを「GOEMON」で相殺され

ネブラスカの素晴らしさを「キャシャーン」で相殺された私は今、

アメイジングスパイダーマン2」鑑賞によりようやく収支がプラスへと至ったというのも

紀里谷和明の負の才能の凄さとも言えるのだけども、私なりに彼の映画がどう駄目かを考えてみると

①映画の本筋とは関係無い謎=説明不足

②感情のほとんどがセリフで説明される=説明過剰

この2つがまず軸にあって、

キャシャーンで言うと雷が研究所に刺さるのだけども、

「雷が研究所に刺さる」と言葉で言っても映画を観ていない人には全く状況が飲み込めないだろう事は容易に推察されるのだけども

事実映画上で「雷は間違いなく研究所に刺さっている」としか説明の仕様が無い場面があって

私自身「雷が研究所に刺さるはずが無い」という常識の元この30年生きてきたのであり

雷が落ちた後「何か得体の知れないモノリス的なものが突如出現した」と捉えてしまった為に

モノリス」の具体的説明が無いままに物語はぐんぐん進み、

20分程経過したところでようやくセリフにより、

「研究所に雷が落ちて〜」みたいなセリフがさりげなくされる事により、

どうやら「モノリス的な何か」はまさしく「雷」であったと判明するのだけども、

その20分の間私は脳内で、あのモノリスみてえなのは何やねんと考え続けてあった訳で

そういう謎の演出で翻弄される事が多々あり、自然な映画鑑賞の妨げになる場面が複数ある。

ここまで字数を尽くしてもこれを読んでいるキャシャーン未見の人には、

何が何やらさっぱり分からないと思うけども、私もよくは分かっていない。

私がその雷を「モノリス」と誤解したのは、

それがあくまでも物質としてそこに存在している事もそうなのだけども、

謎の視覚エフェクトがフラッシュバック的に画面を埋めるせいで、

「オカルティックな何か感」「超現実的な何か感」があった為でもあり、

あれが雷であるならば、青い光のいわゆる電気的なエフェクトが必要であると思うのだけども

私にはそれが「呪い」的な何かにしか感じられず、そのエフェクトも物語進行上必要なものでも無い為に

最後まであれが何を示しているのか分からなかった。

他にも、時間経過が全然分からない「突如雪山にいる問題」

ずっと喋っていないから喋れない人達かと思ったら急に演説を始める「唐沢寿明問題」

大量のロボット兵器が何故か突如用意されている「ロボット誤発注問題」

やたらベタベタと兄と妹がいちゃいちゃし最後はキスまでする「近親恋愛問題」

そしてヤフーのレビューでこの映画を賞賛する人が複数いる「素人レビュー問題」と

私には全て「悪魔の所業」としか思えない。

宇多丸先生の「GOEMON」の評論を聞いてはっとしたのは、

キャシャーン」も「GOEMON」もテーマは暴力の連鎖についてであり

グラン・トリノ」と共通のテーマを扱っているという事で、

何故か得体の知れない寒気を私は感じた。


また2作品共通する普通の駄目な部分として、編集のテンポの悪さがある。

物語上一応盛り上がりは用意されるのだけども、

よしここから良いところだ といった場面で必ず同時進行の別なシーンへと切り替わり

音楽が徐々に盛り上がり最高潮まで折角盛り上げておきながら、

突如テンションが全く違う静かな場面へと切り替わるベートーヴェン的強弱法が多様されるのは百歩譲っても

シーンが戻ってきた時には良いところが終わっている事多く

これは例えて言うと、「ドラゴンボール」において悟空が

「かーーーめーーーーはーーーーめーーーー」まで行ったところで、

突如、ヤジロベーのコメディパートが挿入されて次に悟空の場面になっていると

かめはめ波は打ち終わった後だった

みたいな事で、しかもほとんどのシーンがそういう展開をするので

常にこちらの期待が裏切られていくような感じがあって気持悪く

著しく作品鑑賞のスムーズな進行を阻害している。

私は音楽という時間に縛られたものを作るのでタイム感に関しては自信があったのだけども

キャシャーンを観ていて、おう やっと終わるのかあと思って時計を確認したところ

残り1時間10分と表示され、その後の時間は正に苦行であり、もう少しで「大悟」するところだった。

キャシャーン」という映画は万人におすすめ出来るものではないが、

押井守「アヴァロン」が好きとか紀里谷和明「GOEMON」が好きという人、

もしくは現在出家中の僧侶の人は観てみるのも良いと思いますよ


追記 画面には大抵「ちらちらした何かが降っている問題」というのもあります

追記の追記 そもそも麻生久美子と伊勢谷は兄弟では無かった事がWIKIで分かりました!