サイコパス、平和、Ⅸ畳、安田保険

サイコパスというアニメを今観終わった。

全ての役に声がハマっていて大変良かったものの、

オープニングもエンディングも何らかの事情で糞みたいな曲を流さなければならない模様で

エンディングの曲に被せて少しストーリーが続く演出の所為もあり、

オープニングの凛として時雨をようよう回避しても、

最後のしょっぱい曲はどうしても聴いてしまう構成により、

わたしのサイコパスがガンガンに濁り赤褐色の沈殿。

全部を観て腑に落ちない部分が上昇。

現在久々にキーをタッチしている。


世間では安保安保と盛り上がる中、

サイコパスにおける主役 常守朱(つねもり あかね)が日本という国の擬人化だったのかなと

今このもやもやに答えを出そうと躍起になっている。

まずこのアニメには「サイコパス」という精神の状態を数値化したものがあって、

精神状態が悪くなる事をサイコパスが濁ると表現し、

それによって犯罪係数というものが上昇し、

その値が100を超えると発泡が可能な銃を警察は所持してあって、

それが300を超えると銃はトランスフォームして、

対象をぶっ殺すという まあそういう設定なのだけども

主役の常守は犯罪係数が20くらいで常に安定してあって、

その精神のクリアさが彼女の才能として描かれていて

目の前で友達がぶっ殺されたり、同僚がぶっ殺されたり、他にも酷い目に遭いながらも

犯人に対しては遵法精神のゴリ押しで頑張るのだけども、

果たしてそれは精神状態がクリアなのか、私にはよく分からない。

特に私がおやっと思ったのは、

目の前で友達が殺されそうな時に、犯人を殺せば友達を救えるというその時に

持ち前の遵法精神でむざむざ友達を殺されるという場面で、

左から非常に思想臭が漂ってきて、画面も真っ赤に血で染まるのだけども

それを恰も良い事のように描くっつうのはこれ、本広克行だからなのか。

そして、犯罪係数が上昇しない常守自体は常に銃で発泡される危険が無く

自分の安全が保証された上で周囲の悲惨な状況に対し遵法精神を発揮するっつうのは、

これただ単に鈍感なだけなのではないだろうか。

つまり自分に銃身を向ける者がいるからこそ警察は武装するのに、

犯罪者に対してその場で射殺をするのでは無く、法で裁くんやで!と言ったところで

そらお前は安全やからな としか思えなく

そういった諸々が安保法案や九条や現在のこの国とだぶって見えた

そんなアニメですた。