コンシェルジュの毛布は優しさに溢れているか

価値観があれしてこーしてと自己を主張するのにも飽きて、

人にあーだこーだと色々を薦めても来た結果、結局のところ網羅的にならざるを得ない悲しさに

評論の限界を見た様な気がしなくもない。

っつうのは、

例えば オススメの映画を教えて と言われた場合にまず

お前は誰やねん というところから始まるしか無いのであって、

それは結局、抜け落ちたピースをそのパズルが完成している人から指摘して貰うというだけの話であって

それを突き詰めると、全部映画見なはれ というところに着地してしまいそうだけどもしかし、

映画を全部観るぜ という気力、活力に溢れた人間がそもそも人にオススメを聞くかという疑問もあって

仮に1万本以上の映画を観た人間が人にオススメを聞いて周るなんてな事になった場合

これ程はた迷惑な事は無い上に、周囲からは自慢をして周っている嫌な奴と認識されるか

映画しか趣味の無い暇人と思われ兼ねない訳で

つまり、人にものを薦めるという行為自体

相手の事を知り相手に足りない部分を補うという、

愛で行われる無償の奉仕活動であって故に私達は、あれを薦めたり薦められたりと

補い合う儚くも美しい存在である。


私はベースを弾き始めた時に、ベースが面白いというだけの理由でファンクという音楽というか迷路に嵌り込んだ。

ファンクという音楽は、リズム的な基本で言うと

6連符の中抜きが連続するリズムで、これは簡単に言うとシャッフルしてる跳ねてるという事で

跳ねるリズムというのは、黒人音楽の持つ特徴の一つでもあって

ジャズであれ、ブルーズであれ、レゲエであれ

シャッフルビートというのは非常に奥が深い。

何故奥が深いかというと、所謂ジャストという感覚が希薄な事が考えられる。

白人音楽に多くみられる縦ノリ系の音楽は、

基本のビートがジャストであり、ジャストに演奏さえしていれば巧いという事で

これは機械的に正解が導き出せる性質のものである。

勿論ドラマーにもそれぞれ癖があって、

バズコックスのドラマーは色々な場面で突っ込んだリズム、走ったリズムを叩くし

ジミ・ヘンバンドのドラム、ミッチ・ミッチェルフィルイン通称おかずが多めのドラマーであるが

次の小節の入りはおかずの品数次第みたいな人であるし

リンゴ・スターは、非常にタメの聴いた演奏で私の心を掻き毟るのである。

ジャストで叩ける事は、基本的な巧さの基本なのであるけども

じゃあ全員が全員ジャストでやったらそれでええのんかと言うと、

逆にそういった演奏は引っ掛かりに欠け面白みが無かったりするのがまた面白いのだけども

黒人が扱うシャッフルは更に大変で、

シャッフルというのはそのハネ具合を数値化出来ず、

基本フィーリングでよろしく という適当な感じ有り様で、

私が初めてシャッフルというリズムを意識したのは、

ジュディ・アンド・マリー「チーズピザ」なのだけども、

ちなみにこの曲のベースを私は「オートリバース」という曲でパクってるのだけども

このバンドスコアの解説文には、うろ覚えだけども

「完全なシャッフルでは無く、微妙に跳ねるノリなのでバンドメンバー皆で良い具合のシャッフルを見つけよう」

みたいな抽象的な言葉が書いてあり、

私はバンドスコアであるのだからして具体的に記述して欲しいと思ったっつうのも

音楽という抽象的なものを音符という具体的なものにするのが楽譜ちゃうんか

というやり場のない疑惑疑念に包まれ、

シャッフル=適当なノリ

という事で理解したのであった。

シャッフルが特異なのは、

頭の部分、音を出す部分は明確に決まっているのだけども

その着地が非常に曖昧な点にある。

次の頭部分に影響が無い限り、どこまで伸ばしても良いのである。

そしてこのシャッフルのブラックボックスと言っても良い部分に

黒人特有のグルーブと言われるものがごっそり詰まっている。


よく「BECK」という漫画で散見される

「ははは、こいつ日本人の癖にファンキーだぜぇ」という言葉や

「ちょっと静かにしてな。このベースお前さんよりファンキーだぜ」という言葉は

要するにシャッフルビートの事を指している訳で、

逆に言うと日本人はグルーブが無いと言われるのも

単純にシャッフルビートの曲が少ないというだけの話ではないか?と私は睨んでいる。

何故なら日本人以外の人種、白人においても基本同じ扱いなのであって

レッチリのフリーの様な白人ベーシストがファンキーと言われるのも

単純に跳ねたリズムの楽曲が多いというだけであろうと思うのであって、

そら仮に黒人であっても、

パンクバンドで黒いノリを出すのは不可能な話で、

黒人にハードロックバンド、パンクバンドが少ないのも

単純に、アメリカ人の多くはJ-POPを聴かないという事であったり

日本人の多くはJ-POPを聴くという事の延長にある話であろうと

そう睨んでいる。


そんなファンク好きの私に、アジカン好きの若者が「バンドアパート」とかいう人のCDを貸してくれたのだけども

バンドアパートゴダール発信タランティーノ経由で名付けられた事は分かるものの

果たして勉強になるのか分からないながらも、聴かないといけないなあと思っている。

そういう形の負債