それも知ってるし、それも知ってる。もうお前の全ては見切った

きーっ 悔しいと言った友の敵を私は言葉で晴らす曇ったその顔。


僕は映画を観るのは得意じゃない。作る事は大好きだけどねとか言う男がいたんですよー 

と言った時彼は心底むかつくといった塩梅だった。

私も、私の弟子がやられたとあっては胸中穏やかでは無く

なーにー やっちまったなー

とは思ったものの、それを言ったそいつが誰なのかも分からず

このむかつきをどうしたものかと、結局キーを叩く事になったのだけども

私が物を作る人間に言いたいのは、

物を作り始めた時点で、もう既に受けての自分は半分死んでいるという事と

作り手側の目先、目線を己に持たなければならないんだよ という事で、

いやいや別に好きにやったらええやんけ という人もいるのだけど、否。

そんな事を言う奴は、大体が小兵力士。

親方が常々口を酸っぱくして言うのは、

立会で変化をするな という事と、自分の相撲を取れ という事で

一つ、立会で変化をするなという意味は

目先の一勝よりも大事なものがある という事。

それはつまり、横綱

相撲道を志した時点で、誰もが横綱を目指さなければならないっつうか

暗黙の了解で流石に横綱を目指すよね というのがあって、

ほんで、親方も暗黙にあれして横綱になりたいのなら立会は変化するなよと言う。


立会の変化というものは奇策であって、

うまいこと相手を嵌めて一勝する事もあるのだけども、

奇策は所詮奇策でしかなくて、

15戦全勝を最低限の目標に据える場合、そんな事をしていたら勝負のあやで逆に危うい。

15戦全勝というのは、常に相手より上に立つ事でしか成り立たないのである。

なので横綱は相手の全てを受け止めその上で相手の良い所を全て封じ、

危なげなく寄り切りたい。力水を飲みたい。


それから自分の相撲を取れ というのは、

自分のアイデンティティ、長所、短所全てを受け入れ

その上で負けたのなら仕方ないじゃないか

明日も稽古を頑張ろうぜ という事で、

例えば自分が突っ張り相撲を得意としていて、相手もそうであった場合

相手の突っ張りを封じる為に自分も突っ張りを捨てて、四ツに組むなんてな事は

結局の所負けた時に気分が悪いのであって、ちゃんこが不味い。

もし突っ張りをしていたなら と悔やむ力士は小さく見える。

なので負けても悔いが残らない様に、自分の相撲を取れ と言う。

私も言う。

それで負けたのならしょうが無い。


そこで最初の話に戻ると、

人の映画を観るのは好きじゃないが、撮るのは好きだとか言っちゃう奴。

そいつが、カンヌ、ベネチア、ベルリン、アカデミー賞、なんてな賞を総なめにする位の大監督なら

私は何も言わないのだけども、

ぺーぺーのしょんべん臭いネギ坊主風情であるのであれば、

ビンタである。

往復ビンタである。

なので出来れば私は彼の作品を鑑賞した上で、これから一緒に殴りに行こうぜと言いたいのだけども

そもそもそいつが誰やねんという状況であり、殴りに行けない。

で、もし万が一 糞みたいな映画を作っているのであれば私は必ずこう言うだろう。

人の映画を観て勉強してないから駄目なんじゃないっすか と。

作り手にまわったからには、やれる事は全てやれよ と思う。

映画監督が人の映画を観る時に、楽しもうと思って観ていると思っているのなら

大分頭がお花畑であって、処方箋も無いのだけども

アキハバラ@DEEPをまとめてレンタルして、おもしれーと言いながら

屁をこいて、歌が録音出来る時間になったら本気出すと言っては

隣の家の人に歌い手だと思われてはいやしまいか と不安になって。