おめぇさあ、存在そのものが辻仁成みてえだな

気づいたら辻仁成がキモくなっていた、というのは

気づいたら洗い物が溜まっているといった事や、

シャンプー買ってくるの忘れたみたいな事や、

何だか最近白髪が増えてきたなという事の様に、

人生のある一瞬に立ち止まったからこそ見えてくる真実であるなあと思い、

自分の人生において辻仁成というものがある一定の役割を持っている事に驚きもしたっつうのは、

彼の発言が真に生きることの生きづらさを表現しているからで、

彼がキモくなった根本には、彼の自意識が重く関係しているからであって、


曰く、

「時代は絶対、中性ですよ。めちゃかっこいい中性的なおじいさんを目指す!」

という事だそうである。


凄いなあと思う。何というか雁字搦めだなあと思う。

時代は絶対に中性である という発言の時代には、

世界、世間、世の中、俺達、お前たち、これからの事、

そういった意味が見て取れるのだけども、その時代の最中にある私の目から見ると

純度100%のキモさが感じられてしまうのであり、

これは辻仁成が現在時代の最先端を行っているという事実の証左かもしくは、

誰も追随する事の無い独自の世界に向かって独走しているかのどっちかで、

要するに、

お前たちこっち来いよ と後ろを振り返って僕達に発破をかけるみたいな事で

仮に私達が彼が言うところの中性に向かって走りださなかった場合、

辻仁成に「君たちは遅れてる」みたいな事を言われるのも腹立たしいのだけども、

万が一私達が中性の方向に舵を切ってしまった場合、

したり顔で「やっと会えたね」みたいな事を言われるのもむかつく。

この時点で、私達は辻仁成には勝てないという事が分かるのだけども、

オンリーワン。

かつてSMAPというアイドルグループがゲイのシャブ中毒者の曲で世間を賑わした

世界に一つだけのうんたらかんたら という曲があり当時それを世間は肯定的に鵜呑みにしたのだけども、

得てしてそういったオンリーワンの人達は、

コースアウトした挙句に、皆が目指すゴールとは違うゴールに向かい始め

何だか知らないけども、本人は独走状態で気分が良いみたいな事になりがちで

周りからしてみると、はいはい凄いね凄いねといった冷め切った空気で

とりあえずギネスブックに載せておけば無害だという風潮も相まって、

本人は孤高の人気分だけども、最終的には孤独死みたいな事で

オンリーワンっつうのも時と場合によると私達は知恵をつけた。


誰もやれない事をやっている という事と、

誰もやらない事をやっている という事の間にある深い溝を見極めるには、

知識、教養が必要でありその為に人は色々と学ぶ必要があるのだけども、

今、自分は個性的な人間である と思っている人は

この辻仁成という人間を自分に重ね合わせ自問自答するべきで、

時代は中性と言っているにも関わらず、

当の時代本人からは、このおっさんキモいと思われるっつうのは

それは前提としての、時代は中性というのが間違いである事の証左であって

つまりは勘違い。

世間で言われるところの、勘違いしたおっさんの勘違いの根っこの部分、

定礎の部分がここまで公に明らかになったのは非常に稀な事で、

僕は個性的な人間にはなりたくないと思った。