色々と気づいて、哲学を築いて、心の傷いてえ 〜ざけんなよ〜

刑務所というのは冷静に考えたところ、結構凄いなと思ったっつうのは

サブウェイ123の鑑賞結果。

結論から言うと、

悪い人をひとまとめにしたところ、悪い人達が集まって悪い事を考えるっつうのは

とても、とても自然な流れに思えるのだけどもどうなのだろうか。

刑務所という更生を目的とした施設なのか知らないのだけども、

それ程悪く無い人が冤罪によって刑務所に入った場合、

その憤りは計り知れないっつうのは、フランク・ダラボンの映画を観れば容易に推察され

善良な市民がテロリストに転職するなんてな事もあり得る訳で、

悪人とひとくくりにしても、そこには微妙なグラデーションがあるはずで

軽犯罪の再犯率っつうのを考えても、

刑務所に入ってしまった時点で、社会的にはほとんど死刑と言って良く

悪のリサイクル工場と化しているのではないか

なんてな事も想像してしまうっつうのは、馬鹿。

国がそんなにアホなはずは無いのであって、安心。

がしかし、国にも調子が良い時悪い時あって然るべきで

ペヨンジュン


良いペ・ヨンジュンは良く笑い良く歌いヨーモニーで大変良いのだけども、

悪いペ・ヨンジュンは険しく、悪い事を考えあまりヨーモニーでは無いのが通常で

それを悪いペ・ヨンジュンを見つけたからと言って、あたかも鬼の首を取ったかのように

ペ・ヨンジュンが悪くなった、黒くなったと言うのはフェアじゃない。

そこで私は中間のペ・ヨンジュンを模索するのだけども、

ペ・ヨンジュンそれ自体が常に揺らぎ、瞬く儚い存在であり

良いペ・ヨンジュンにも悪い部分があったり、

悪いペ・ヨンジュンの中に良いペ・ヨンジュンの欠片を垣間見る事もあって

また、良い悪いと断罪する私もまた揺らぎ瞬く儚い夢の様なナイトメアであり、

私の内面にも仏と鬼が同居してあって、

仏の私は悪いペ・ヨンジュンに対して寛容であるのに対して、

鬼の私は良いペ・ヨンジュンに対しても、腐れソナタの糞眼鏡と毒づき、

揺らぎと揺らぎは均衡を保つ事は無く、

冷戦、それは恐怖に支配された平和

青雲、それは君が見た光。

と仏壇に線香。サンスクリット語でパーラム。

それはお彼岸。

もう春がそこにいて、窓からこっちを見ている季節。

鬼が仏を棒でぼこぼこにする日もあれば、

春風吹けば鬼も笑う。

私の中から鬼が消える季節。それが春。

春はボノアケ。YO YO 白くなりゆく生え際。

俺のおじさん化。加速。