靴下の中にカルマが入ってしまってそれがすげえ気になっているみたいな状態

我が朝に鳴り響く狂った猫の様に泣き叫ぶミュージック

わかっちゃいるけどやめられないと軽やかに言う植木等が羽毛の様に優しい。

かつて、立川談志が「落語は業の肯定だ」なんて言ってあって

それが私サイドの人間にはとても力強く響き、植木等もそういう意味で同じメッセージを発していたのだなと

朝から、カルマについて考えさせられるっつうのもアイフォーンという文明の利器の所為で

この間、目覚ましに星野源が鳴り響いていたので

ぼかぁ 星野源が嫌いだなぁ と加山雄三したところ、

翌日からクレイジー・キャッツが流れる事になっている。

どんなセンスか知らないが、目覚ましの次の曲がストーンローゼスのフールズ・ゴールドとなっているし

アイポッドをシャッフルで再生中です みたいなこの一連の楽曲の流れを

彼女が意図して作り出しているという事実が私には恐ろしく、

フールズ・ゴールドが終わると、謎のメキシカンミュージックが流れるっつうのも

これカルマ。カルマ怖い。なんつって、ぼかぁ お茶が飲みたいなぁと一席。


数年前から、芸人の高学歴化が顕著になってあるのだけども

全員整列させてバルスと唱えたい位私は嫌いなのだけど、

それと平行してのロハス嫌煙、無農薬と世の中は実に健全化してあって

そら 生きづらくもなるわな とメントス

そういう点で、ぼかぁ 東京ダイナマイトが大好きなんだなぁ

と、体に悪い煙草を吸って体に良いか悪いか未だに謎の珈琲を飲んでいる。


わかっちゃいるけどやめられない

そういう人間だからこそ言える事が間違いなくある。

人と同じ事はしたくない それが表現の始まりであるならば

憧れと同化したい という願望がある間は表現はまだ始まってすらいないのであり

過程においてのそれが現実逃避としてある一個の魂を救ったとて

人と同じ事はしたくないとすら思わないのであれば、

それは個の消失であり、つまりは代替可能なものであって

表現者として己を代替可能なものであると認めてしまったのであれば、

それはもう資格を失していると言って良いのではないか。


これが私を苦しめるシャンペーン問題2014である。

1,オアシスが好きだからオアシスの楽曲からバンド名を頂きました。

2,その尊敬するオアシスからメロディーを盗みました。

私にはどうしても1から2へと至る心の動きが理解不能で、

日々、表現とは何なのか カルマとは何なのか

近所のばあさんがやっている煙草屋で、メビウスライト一つと言ったら全然通じなくて

番号で言ってと言われたので、マイルドセブンライト一つと言ったら

すんなり通じたこの気持ちは何なのか

考えは止まらない。わかっちゃいるけども。