雪山を滑るということ

気づいたら10万ヒット! ありがとうございやす。

ソチ五輪、テレビの中では盛り上がっておりますな

普通のオリンピックでは、基本的に肉体、そしてそれをいかにコントロールするかに重きが置かれておりますが

冬の五輪では、なんつうか受け身。

受け身の金メダル。

というのも、雪山を滑るっつうのは

雪山に滑らされてるという見方も出来る訳で、

板履いて雪山に立たされたら、誰もが滑る訳でございまして

つまり、その滑る滑らされるという状況、それをコントロールするのが上手な人

それを決めましょうや っつうのが、冬季五輪なんだねえ と思った。

100mを一番速く走れるのは誰だ?っつう分かりやすい陸上と違って、

スキージャンプ なんてなものは、

何がどうあれして飛距離に違いが出るのか、私には全く見当が付かない。

風をいかに全身で受けるか?みたいな事だとは思うのだけど

そうなると、いかに表面積が大きいか?を比べる競技という事になるのだろうか。

陸上競技の場合であれば、突き詰めれば筋肉の優劣を決めるという事であるが、

スキージャンプっつうのは、突き詰めたところ何の優劣を決めるものなのか?

たぶんだけども、

スキージャンプという種目で決まる優劣っつうのは、

単純にスキージャンプの巧さの優劣なんじゃないかなと思っている。

故に、その辺の部分で若干の引っ掛かりがあって

100mの王者 ボルトに関して私は、キングオブアスリートの称号を与える事に対して

私は些かも躊躇しないが、

スキージャンプの王者に対して、キングオブアスリートの称号を与えるのは

んー、まあたぶんそうなんだろうけど、アスリート??

ちょっと良く分からんなあ

そんなもやもやした気持ちになるのである。

差別だろうか。

100m走の凄さは、ほとんど全ての地球に住む人間が100mの自己記録を持っている事と無関係ではないはずで

その辺の競技人口の少なさと、体験した事がある人自体がそもそも少数である冬季の種目は

私の中に、「なに抽象的な事をしとんねん」という気持ちを芽生えさせる。


東野圭吾のエッセイで、ボブスレーの前から2番目の選手に言及したものがあるが

実に的を射ている。

ボブスレーでは、助走が重要なので100m走のタイムが良い選手が起用されるという。

それは悪い言い方、黒い言い方をするなら

100m走でタイムが行き詰まった人が転向した結果と言えなくもない訳で

逆に言うと、ボブスレーの選手は全く潰しが効かない。

ボブスレーと言わず、カーリング、スキージャンプ辺りは

潰しが効かない様に見える。

その辺りが私に、抽象的な事をやっている という印象を与えるのである。

これがスノーボードハーフパイプなんかであると

スノーボードはやった事が無い私ですら、ぐっと親近感が増して

ショーン・ホワイト?? 凄いやん

となるっつうのは、実に不思議な様だが

ストリートからの流れがあるスノーボードは、

ストリート系と言われる私と肌が合うのかもしれない。

まあ、スノーボードはやっている人が多いだろうから、あいつ凄いんやろう

という先入観も大いに起因するのだろうが

単純に、真似してみたいと思わせるカッコ良さを感じさせるのが重要なのかもしれない。

ボブスレーカーリング辺りで真似したいカッコ良いといった感情を持つ人は

たぶん、たぶんだけども少数であり

今後それをどうにか変えていく事が必要なのである。

クールランニング。