リア充

もう既に死語になりつつあるリア充

先日、バイト先のある人にツイッターでフォローされた時

ふとリア充という言葉が頭をよぎった。

私は自己を表現者として規定しここまで生きてきたが、

私のおよそ4倍はあろうかというそのツイート数を見て

リ・ア・充

という言葉がふとよぎったのである。


思えば私はリア充を、

リア充活動に従事する者 としてきた。


ツイッターにご飯の物撮りを掲載する

フェイスブックにご飯の物撮りをする

集団で一つの写真に収まる

自撮り写メを世間に発信する等が容易に思い浮かぶリア充活動なのであるが、

一番スタンダードな様式と言われるものに、

スターバックスでのマッキントッシュ というものがある。

何故あえてチェーン店を指定し、OSまで指定されているのか

その真意は定かでは無いものの、言いたい事は分かる。

つまりは、威嚇行為である。

しかし、

普通に生活していればスターバックスエスプレッソを飲む事もあるだろうし

中にはPCを広げる場所欲しさに行く事もあるだろう。

そういった人達が、非リア充活動としてそういった行為を取りづらくなった

という事は意外に語られないように思う。


例えば、嫌煙全盛のこの時代

嫌煙厨はやたら我々を攻撃するが、曰く

ただ格好をつけているだけだとか、百害あって一利なし吸う意味が分からないなんてな言葉も

私に言わせれば、

おいしいから吸っているだけですが何か?というだけの話であって

吸うこと自体を攻撃される言われは無いのであり、

単純にマナーが悪いぞ喫煙者と言っておけば良いものを、笑止。

今日も自室で高煙ってなもの。


これはつまり、何故私のようなものはマイナーなものを愛するか?という話で

よく、売れるとファンを辞めるという話があって

売れたからってファンを辞めるのは、

自分だけが知っている喜びに浸っていたいオカマ野郎だ なんつう筋違いの意見があるが

そうじゃない。

そうじゃないのだよワトソン君。

例えば、私はプリファブ・スプラウトが大好きだが

渡辺満里奈が最近ブログでプリファブ・スプラウトを聴いていると書いていたらどうだろう?

仮にそれが、神田うのでも矢口真里でもいいが、

何か嫌だろう。

そう、一緒にされたくないっつうのがある。

ワンピース

確かに面白いつって読んでいた。

しかし、もうだめだ。

あれを好きだと言っては一緒くたにされる。

だから出来れば私が好きな

レナード・コーエン、プリファブ・スプラウトニール・イネス辺りは最後まで

渡辺満里奈に見つかって欲しくないとそう思うのであります。