プロとアマ
いい歳をしたおっさんおばはんが、コブクロのCDを借りて行く。
別にコブクロじゃなくても良いのだけど。
私はマクドナルドに行かなくなった。
悲しくなるからである。
流石に人間歳を重ねて、旨い店の一つや二つ知らないってぇのは悲しい。
というより、旨いものを知らないってのは悲しい。
20年程前には、ナンシー関が警鐘を鳴らしていたし
町田康も度々書いているが、
世の中では旨いものの話がやたらされる様になった。
あれが旨い、これが旨い
食事も娯楽に成り下がった。
つって聞こえるのは、
30歳にもなって、マクドナルドで満足してるんじゃないよ という声と
おっさんがファミレスではしゃぐな という声である。
けだし正論である。
で、思うのは
プロレベルという言葉だ。
歌い手と呼ばれる人たちが、プロより旨いなんてな言い方をされたり
マジ歌選手権では、プロ級という言葉が良く使われたり
プロ=技術的研鑽の成された者達 という誤解が未だにあるっつうのは
お前たちはパンクを知らないのか!と肩を揺さぶってやりたくもなるがしかし、
私が本当に思うのは、
金を貰ったらプロだよね という一見高みからの真理を突いた言葉に見せかけて
プロフェッショナルというものを愚弄する小手先の意見に私は賛同しかねるのであるのよな。
適当に入った店で、適当に何かを頼む
それで旨いものが食えた事がありますか?と問いたい。
腹は膨れるだろうよ そらご飯を食べたらさーと思う。
腹が膨れた という対価として金を払うっつうのは間違っていない。
糞不味いラーメンを出す糞店長もそりゃプロだろうよ。
てことは、じゃあ何かい
調理師免許持ってたら全員がプロの料理人ですかいと問いたい。
すき家にも松屋にも吉野家にもプロの料理人がいるんですかと聞きたい。
たぶん誰もそんな事は思っていないだろうし、
誰も極上の牛丼を求めてチェーン店になんか入らない。
だのに。
だのにこと音楽に関してはその審査がゆるゆるじゃないかね世間よ
と世間の肩を激しく揺さぶってやりたい。
適当に入った店で旨いものが食えないのが当然の世の中、
テレビ、ラジオから適当に流れる音楽が良いものだなんて
そんなに素敵な話があるかよ
と私は怒りを露わにしつつ、
さっきラジオでかかったビートルズが久しぶりに聴いたら格好良く、
やっぱビートルズええやん と珈琲を一杯。
至福の時間。