反射ジャーパニック茄子傷話

ジャーの中のご飯をかき混ぜ、さあお椀に盛ろうかという刹那、

ジャーの縁に触れた私の手はだぁ、だぁちぃぃぃと反射的に宙を舞い

これまた反射的に安堵。ふぅ。

と思った刹那、だぁ、まだあっちぃぃぃ!!!とパニックになる。

縁から手は既に離れているのにも関わらず、まだほくほくに熱いというのはこれいかに?と、

パニックで頭の上にはでっかいクエスチョンマークが狂喜乱舞していたところ、

何の事は無い手に熱々ほかほかのご飯が付いていましたと。

そういった日常にある非日常。

思い込みというのは怖い。


そして今現在私が抱える案件は、茄子問題である。

茄子を見る度思っていた訳ではないが、よくよく考えてみたところ凄い不思議だなと思ったのは、

何であいつらはあんなにも傷だらけなんだろう?という事である。

見方を変えて言うと、他の食材では傷ついたものは流通しないのに対して

傷だらけの茄子は何故にこうも当たり前の顔をして店に並ぶのだろう?という事である。

私は津軽弁で言うところの「からきんず」という人間で、

これは今ネットで調べたところ神経質という事らしい。

なるほど。

津軽弁でからきんずと言われた際は、あるポイントに対してのこだわりがある人と勝手に思っていたが

世間的にはそれを神経質と言うのだなと今愕然としている。

例えば、

私は冷めたご飯は絶対に食べないし、冷めた味噌汁も絶対に食べない。

割り箸を洗って再利用し客に出すなんてな事があるが、私は濡れた割り箸に不浄な感じを受けるし、

タッパ等の容器で冷蔵庫に食材を保管する際も、次の日に食べるのは構わないが

3日目のものを食べるのは怖い。

と話は脱線したが、

茄子における傷も私は自分で調理する際は、何か嫌だなといって

切り落としている。

そして最近テレビジョンを見ていると、食材の捨てる部分を使った料理がもてはやされていて

先日も「鉄腕ダッシュ」において、本来なら捨てるものを食べていた。


今日茄子の傷を切り落とし私は罪悪感で胸いっぱいになったのも、

他の生命を頂いているにも関わらず、それの一部を無駄にする事を平然とやってのけている自分が嫌になったからで

で、

これを読んだ主婦Aの人に茄子の傷は食べるべし なんてな言葉を貰って克服してやろう

なんてな事を思ったのだけれども、なに

私にはインターネッツがあるのだからして検索すれば済む話であった。

で、今検索したところ

傷がある茄子は普通の茄子よりもポリフェノールが2倍!!という事が分かった。

凄い。

さらに他のサイトを見たところ、味が落ちるから選んじゃ駄目とあった。

なるほど。

で、傷の部分は食べるのか?

肝心の部分は謎のままだった。