記憶の中の白い恋人

頭の中の映像はいつもモノクロで、

あんなに大好きだったあの娘も今では白黒写真。

やっと会えたね

なんてな言葉をかけた所、相手は正に辻斬りに会ったみたいな顔をしていた。

うまい。

っつうのは、白い恋人を久しぶりに食った私の感想です。

始めて真っ白なあの娘に出会ったのは、

小学6年 修学旅行。

おみやげを買って来いと頼まれた私は、

ボリュームの割に値段が安いバター飴で全てを凌ごうと思っていたが

白い恋人ちゃんは、小さな肢体の癖に高額な金銭を要求していて

しょうがねえな という気持ちで、1000円分程購入。

これで私も白い恋人のオーナーだ なんつって

帰宅し家族で食ったところ、

なんだこりゃあああああああああああ

とカルチャーショック。


私は食において数度のショックを受けてきたが、

チョコミントを始めて食べた時のショック、

ピッツァを始めて食べた時のショック、

それに続く衝撃を受けたのでありました。

以後、

誰かが北海道に行ったと聞けば、白い恋人を食べられるのではないかと期待する日々を過ごし

しかしながら、そうそうそんな機会も無く

記憶の奥で風化した白い恋人は、

モノクロの恋人として、永遠に再開の適わない概念となり沈殿していったのでした。


それから幾月か重ね、

ラングドシャというものに出会った私は、

それを恋人の代用として、密会を重ねておりました。

アルフォートラングドシャバージョンに、白い恋人を重ね

ブルボン プチホワイトチョコ ラングドシャ白い恋人と思い込む事で、

モノクロの恋人に、今という色を塗っている錯覚に陥っていたのでしょう。


先日、私のガールフレンド(仮)が北海道に行ってきまして

おみやげに白い恋人を買ってきてくれました。

10数年ぶりくらいの再開に私は感激しました。

一口食べると、もうそこに言葉はいらなかったのです。

異次元の美味しさでした。

例えるなら、

ホワイトチョコという波に、クッキー生地の砂のお城が溶けていく

そんな感じでした。


代用として食してきたラングドシャとの決定的な違いは、

ホワイトチョコが厚くしっかりしているところと、

十分にバターの香りがする生地で、

そしてその生地が非常にさらさらと口に溶けるところで、

口に入れた途端に、2つの異なる食感が一瞬にして一つになっていく

その過程もまるで恋人との邂逅の様です。


食べたい時に食べられるものでは無い事

結構コスパが悪いところ

俺色に染まってくれるところ

色々な意味で、白い恋人というネーミングには唸らざるを得ません。

とこれ程絶賛しているにも関わらず、

これがステマでは無いというのが恋人の一番の恐怖なのかもしれません。

あー、こんだけ褒めたんだから箱で送ってくんねーかなあ