言葉の隠蔽と主婦の豪胆

よく東京にいた頃は、人身事故の影響で電車に遅れが云々とあって

あれま と思った後何事も無く小説のページを捲ったもので

人身事故という言葉のテクスチャーに身を任せていた。

少し考えれば、

人生に絶望した誰かがえいやっと身を投げ体がばらばらになり辺りは血の海、阿鼻叫喚であるのは間違いないにも関わらず

そういった事に心を病んでいては物事は停滞し沈殿するよと言って

これはロマンシングサガというゲームで言うと

サブクエストという物語の本筋とは別にある細々としたお遊びにうつつを抜かし

全くメインストーリーに手がつかない状況の様なもので

人は、現代人は皆今はちょっと忙しいのでという格好で

耳をふさぎ目を瞑る。


小さい頃であれば、困っている人は助けなさいなんてな事も言われたが

これは子供程度のものが助けられるのが些少であるから言える事であって

仮にこれを係長、部長クラスの人間が実践しようとなれば

家がない、職がない といった人や

なんかダルい 手に力が入らない といった人や

あと10円あればお札を崩さなくていい なんてな人も

助けようと思えば助けられるのであって、しかしそれを随時実践した場合

今度は自分が困ってしまうので大概こういったものは見ざる聞かざるで対応する。


とそんな事を考えるのも、料理というのは壮絶なものだよなと常々感じているからで煮干し。

我が家では、味噌汁の出汁を煮干で取る事を常としているが

この煮干しで出汁を取る行為というのは、かなりのサディスティックファクションであり

まず、海に出向き魚をだまくらかしこれを強制的に連行。

後に、ぐつぐつに煮えたぎった湯でもってこれを熱死

その死骸を磔刑にし世間の目に晒し上げ、

それを袋にこれでもかと詰め込んだ挙句に発送。

全国の家庭においてはさらに、首をもぎはらわたをちぎりして

再度、煮えたぎる湯に投入。

しこうして、これを取り出し用済みとなった死体の山が出来上がる。

一袋使い切るかという際、袋の底には魚の頭部が散乱していて

まるで死んだ魚のような目でこちらを見ている。

これを日毎繰り返すのであるからして、心はかちかちの鋼鉄。

進撃の巨人を見て読んでわーきゃー言うのも馬鹿らしくなる程の殺戮ショーである。

戦争映画でよく見るシーンにある

ご子息は勇猛果敢にアメリカの為に死んで云々の手紙を読む母。

食べるというのは、命を頂いて候という事であり

食べ物を残すというのは、

天国の母君に、ご子息は無駄死にして候と言うようなものだからし

やっぱりご飯を残すのはよくないよと私は言いたいのさ