ジャンプする事

朝の連続テレビ小説あまちゃん」はご覧になっていますでしょうか?

オープニングで主役の娘が高々とジャンプする所から始まるのですが

画像を拾おうと探しましたが無かったので、私が手書きしたもので説明します。



一度でも見た事ある人は、あぁこれこれ これだよこれってな感じに思うかと思います。

ちなみに、オープニングの曲は大友良英さんがたぶん運動会でおなじみの「天国と地獄」という曲のイメージを少し拝借して作ったんだと推測しています。

ドタバタ感を表現したかったんでしょうな。

で、ジャンプです。


古今東西、ジャンプするという行為には特別な思想があって

例えばバレエやフィギュアスケートでは、ジャンプそのものに最も注目が集まったり

スキージャンプや走り幅跳びなんかは、ジャンプ自体が競技の対象になっています。

ジャンプするという行為自体に、生命の躍動や生きる喜びが凝縮されている

そういって差し支えないのでしょうな。


で、思い出してみると小さい頃はよくジャンプしていたなあと。

学校の廊下の天井にタッチするとか、

アーケードの天井にタッチするとか、

家の天井にタッチするとか、とにかく天井にタッチしたかった様に思います。


そうして考えてみると、大人はジャンプしねえなあと。

振り返ってみると、私はおばあちゃんがジャンプしている所を見たことないし

安倍総理がジャンプしている所も見たことないな

てか、街でジャンプしている人を見ることがないなと。


つまり、ジャンプする必要が無い毎日を大人は送っている訳です。

逆に言うと、子供はジャンプする必要が無いのにジャンプしている訳で

ジャンプするという行為は、許された人のみに与えられた特権なのかもしれない。


大人のジャンプには滑稽さが付き纏うのに対して、

アスリートや子供のジャンプには躍動を感じる。

むしろ、躍動感の喪失を認めるからこそ人は次第にジャンプしなくなるのかもしれない。


とここまで考えたが、短絡的に過ぎる気もする。


いや、だなと。


ジャンプに必ずついてまわるもの

それは着地だ。

膝で上手い事衝撃を吸収せしめて、初めてジャンプは成功する。

大江健三郎は「見る前に飛べ」と言ったが、


大事なのは「飛ぶ前に着地」である。

そして、着地の事なぞ毛頭ない若人のジャンプに

大人は魅せられるのかもしれない。

失った無鉄砲をそこに見ているのかもしれない。

銃の無い世界にピース とかなんとか。