yahoo知恵袋への嫉妬

悩み相談というのはいいものだ。

本当に深刻な悩みであれば一人で抱え込むのが侍の国の常であるので、

人に打ち明ける、それも公衆の面前において相談するとなれば

その深刻度はたかが知れている。

となれば、悩みを聞く側は親身になったフリをしていかに面白おかしく回答するかに務める事が出来

これはシステムとして非常に理にかなっているだろう。


私も常々質問や相談を待っているのだけれど、一向にそれが来る気配がない。

野球を見ていて思うのは、

誰かが投げてくれるからバッターは打てるのだねえ

という事で正直羨ましい。


バッティングセンターという場所は、ボールを投げて貰いにいく場所だし

ボーリング場はピンを立てて貰いにいく場所だ。

カラオケは、演奏をして貰いにいく場所で、

サウナは、温めて貰いにいく場所だ。


お膳立てされると気持ち良いものであるし、

人生誰もが主人公であって

既に忘れ去られた様に思われる小嶺麗奈だって今も元気でどこかにいる。

元気でないにしても、小生意気な感じで今を生きているはずだ。


ページビューが、がしがし増えていくのに対して

コメントが基本的に書き込まれないというのが寂しいというのは

例えば、

バッティングセンターでお金を入れた途端電話がかかってきて

一旦バッターボックスから出ている状況を想像して欲しい。

響き渡るボールのバスンバスンという音は、諸行無常の音がする。

そういう状況に似てはいないか?

例えば、

ボーリングで2連続ガーターを出した時

綺麗に整った10本のピンが上に引っ張りあげられて

また同じ場所に同じ様に並ぶ様に似てはいないか?

例えば、

追い焚きをして風呂に入ろうつって全裸になり、足を入れたら底が冷たくて

取り敢えずパンツだけ履いて居間に戻ってくるも、

何をして時間を持たせたら良いのか分からないあの状況。

段々寒くなってきて、Tシャツを着る時の敗北感。

足を拭いて少しだけ濡れたバスタオル。

そういう悲しさがこのブログには無いだろうか。

こういう内容のブログを書いた事は過去数度あった。

その度私は、学級委員を決める時の光景を思い出す。

(誰か立候補しろよ)

(おいおい、帰りのバスまで時間ねえよ)

(誰か空気読めって)

(もう多数決でいいんじゃね)

そして私はまた、ボールを投げ出す。

好きで勝手に投げ始めたのだから。

このブログ、

途中で投げ出す訳にはいかないだろう?