ガムテープを買ってくると家でガムテープが見つかる理由を考える

人類の抱える問題として、タイトルにある問題があると知ったので

これを理詰めで考えてみる事にする。


まず、ガムテープを買う状況を考えると

取り敢えずガムテープ無くなったし一個補充しておくか

といった理由で購入される事は極めて稀であり、基本的には何らかの理由で必要に迫られ

しょうが無く購入しているものと推察する。

何故なら、ガムテープが無くて困る事とガムテープがあって嬉しかった事を天秤にかけても

どちらも極々稀な頻度でしか起こり得ない為に、生活の中に組み込む必要が無いからである。

つまり、ガムテープは非日用品と断定する事が可能だ。

故に、ガムテープにまつわる一切の行動が非日常的行動だと推察する事が可能である。


では、ガムテープを買う状況の一手前の状況を推察すると

日常の中で緊急的にガムテープが必要になった状況であると考えられるが

ここに一つの罠がある気がする。


上記の状況は、本来非日常の到来であると評価する事が極めて現実的であるのに

人間というものは、地震や火事や戦争が起こっても

それを日常の中に組み込もうとする性質があるのであり、

ガムテープが無い という現実に対して、日常的な解決を図る。

それが、ガムテープを購入する という行動であり

普段の行動からみて逸脱しない。

大抵の人は毎日何かを買っている。

だからこそ、ガムテープを購入する という行為が非日常的行為であるとは思わない。


しかし、状況は既に昨日とは違うのである。

ガムテープが必要な世界に我々は来てしまっただろう。

そこに日常はもう無い


大抵の人は、ざっと部屋を探す行動を取り無いと判断してガムテープの購入を決めるだろう。

しかし、ざっと部屋を探す行動そのものが日常の延長である。

もっと部屋を探さなければならない

日常的に使うものであれば、普段の行動範囲内にあるが

しかし相手はガムテープである。

それは非日用品だ。

日用品を探すノリ、グルーブで探しても見つかる訳がない。

探す というアクションに対して

非日常的アプローチを加える事が求められる。

そして、人はそれをしない。

何故か?

それは、人は非日常である事を認めるのを嫌う生き物だからだ


ガムテープを買ったら家にガムテープがあった という事と、

原発が爆発しても仕事に行く事は、本質的に同じ行為なのであるといえるだろう


故に、ガムテープが無い時は

もっと本気でガムテープを探した方がいいよ

と私は言いたい。