僕と松井とジョージ・クルーニーと時々ピサの斜塔
傾いている。
そしてそれが格好良い。こうあるべきだと幼い私は思ったに違いない。
世間に対して斜に構えるそのスタイルに対し私は長年リスペクトを示し、そして今まで生きながらえた。
ある人にはそう揶揄されもしたが、私もまた傾いている。主に首が。
首を傾げるというのは、世界的にも通用するジェスチャーであり
疑問を持った時や、人に何かを聞かれて知らない場合等で使われるが
基本的には分からないという意志の表示である。
なので私は長年世間に対して、分からないという意志を表示してきた事になる。
概ね私は分からない。
最近、ERという海外の医療ドラマを観ている。
そこで非常に驚いたのがジョージ・クルーニーの傾き具合である。
俳優にはある癖を持った人が多く、役が変わってもそれは出てしまいそれがモノマネのネタにされたりして
ロバート・デ・ニーロであれば、両手を天に向けての「I don't know」
ジョン・トラボルタであれば、中指と親指をくっつけて相手に向かって「こういう事はするな。分かったな」という念押し
そしてジョージ・クルーニーの傾きが今回発見された。
人から言われる事もある位私は傾いているので、
私を傾奇者と言っても差し支えないはずで、傾きに対し一家言持っている。
その私が驚愕したジョージの傾きは常軌を逸した状態で、
通常地面に対し90度の状態を直立とするのに対し、
私であれば75度程の傾きであるが
ジョージは、地面に対して15度程の角度で迫ってくる。
しかしそれをした時の状況は、前述の「分からない」といった意思表示をする様な場面ではなく
元カノに対して低姿勢で話しかけるといった感じだった。
つまり相手にコンタクトを取る際に、ジョージは傾くのである。
元カノが心に壁を作り、ほっといてくれといった態度を示している時
その壁を避けるかのように低姿勢のポーズとして彼はそれを行なっている。
私は思った。
日本にもこれと同じものがあるなと。
暖簾である。
ジョージの傾きに私は暖簾を見たのである。
「大将やってる?」と暖簾を避けて言うのと
「へい彼女やってる?」と体を傾けて言うのはサービスの提供を欲しているという点で本質的に同じものである。
私はかつてNHKでERを見た記憶がある。
日本では1996年から放送されたが、私が中学生の頃だ。
私は高校に入って「フロム・ダスク・ティル・ドーン」という映画を観たがこの時
ジョージ・クルーニーに対して感じた懐かしさは「ER」由来のものだったのである。
私が傾き出したのは丁度中学生の頃からだったと言われているので、私の傾きのルーツはピサの斜塔よりも
むしろ「ER」でのジョージ・クルーニーにあるのではないかと思った。
そう考えると、私は世間に対して分からないと言ってきたのではなく
「地球やってる?」といった興味で生きてきたのかもしれない。
松井秀喜はインタビューの最後にかならず、少ししゃくれて口を結ぶという事をする。
インタビュアーはその顔が出るとコメントが終わったんだなと理解するが
言いたい事はあるけど心に留めて我慢する時のジョージ・クルーニーも同じ顔をする。
これにもきっと何か理由があるんだろう