深みを知る男

表現は極めれば極める程に深くなっていく

とかなんとか考えていると、深さとは何か?という根源的な疑問が表出。

パンクからロックに、そしてポップスへと至るというのはこれ

要するに手の加える余地を増やしていこうという動きであり、

ブルーズからブルーズ、そしてブルーズへと至るBB・キングなんてな人は

たぶん、深く深くブルーズの奥底に行ってるんじゃねえかと仮定。

しかし、

天才少年のジャズ・ピアノとか聞くと分かるように

巧いけど、どうにも深みがねえな というのもあって

深さというのは結句、知識量に依存するのだなと言って差し支えない。


先日帰省した際、親友の竹内君と神様はいるのか?という話になった。

私は、アダルティーな動画サイト

エックスビデオ(X-Video)の管理人は限りなく神に近い存在ではないか?と言ったが

今こうして冷静に考えてみると、慈悲深くはあるが神様というのとは違うような気がしている。

で、

竹内君に最近エックスビデオも日本語版が出来たね と言うと

まじか

との返答で私は彼に日本語サイトへのリンクを教えてあげた。

今こうして冷静に考えてみると、それが2013年最初の善行になる。

で、

彼はそのサイトに見入りしばらくしてこう言った。

「この女優、かわいい!」

私はこう返事をした。

「竹内君はまだAVを女優が可愛いかどうかでご覧になっているのかい?」


これが深みを知る男である。

そしてこの時の私の心理状態には、決して優越感や誇らしさ等は無く

ただただ慈しみ溢れる聖母マリアの如き母性で満たされていた事

それが非情に重要であり

深さとはつまり包み込むような愛なのではないかと思った次第である。


物事というのは知れば知るほど不自由なものだ。

知識というのは、あればある程にまた悩ましい。

和音というものの奥深さを知った後、素知らぬ顔でパンクをやる事は難しく

人妻ナンパものを知った後では女優ものには手を出しづらい。

そして知れば知るほどに知らなかった頃の純粋な幸福は遠のき、悩みは深く深くへと沈殿していく。

だからこそ

我々は知の探訪者として誰しもが同胞であり、兄弟だ。


故に深さとは知識であり、

それは全て愛、

愛なのだ と言っても誰もそれを否定出来ないだろう。