色々な事
増えるPVを眺めつつ更新されないままのブログを開き、苦味を噛み締める。
途中まで書いては消し、書いては消しと日々は上書きされていくままに
色々と考えてはいるものの、折角更新するなら期待には応えたい。
とはいうものの、出来るだけ誰も書いてない事を書きたいし
願うなら笑いのあるものをと希望する。
しかし、しかし無いのだよ。
ギターを弾いても形にならず、言葉を書いても黒く塗りつぶし
日々を上書き保存するなれば、結果としては米がただただ減っていくばかり。
例えば、
原発の行方に焦点を当てた選挙運動を見るにつけ
んー、
いつまでに全部無くすとか、段階的に無くすとか
再稼働させるとか、安全かどうかの判断だとか
私には違和感が御座います。
はっきりと申すなれば、そんな事はどうでもいい。
まずは、やらかした場合の法的な罰則をどの様にするかという法律を作る事が先決ではありますまいか?
その様に思うのです。
ペナルティーが曖昧なままに、もし万が一次の事故が起こった場合もまた東電と同じ事が繰り返されるなんてぞっとしない話で御座いましょう。
重い罰則を明示し、責任の所在を明らかにする事で
初めて気を引き締めて現場に当たる人々も、それを管理する者も本気で事故の無い運用をしてくれるのではないか?
そしてそれにより、現在の東電の酷い現状を浮かび上がらせる事でしか事故の総括なんて出来ないのではないか
その様に考えております。
とこの様に怒りを述べた所で、やはり面白い文章にはなりません。
最近だとトンネルの天井が落下したという事故がありました。
インフラを民間業者が担うという事の最も大きなデメリットでしょう。
東電しかりネクスコしかり。
郵便事業もそういった危機にあるかもしれません。
私の田舎には、
バスが朝と昼の2本しかありません。
昼にバスで街へ出ると、夕方は帰って来れないという事になっています。
こういった不便さは、今後も田舎を困らせるでしょうが
その不便さが更なる過疎を招くという負のループを生み出します。
例えるなら、
エロサイトで延々たらい回しにされた挙句、結局動画が見つからず疲労感と期待に膨らんだ股間だけがそこに残されるのと同様です。
何のコメントも無いなかブログを更新するというのは、
壁に向かってボールを投げているのとは違って、
ただ空に向かってボールを投げているようなもので、
ある意味では地球とキャッチボールをしているとも言えますが、
やはり自問自答をするには、まず問いが無ければならず
雨ざらし
問いザらス
言葉遊びにも陰りが見えるならば、更新したという事実を残す為だけの更新であっても
それも一つの試行錯誤のような、ほとんど思考錯誤のような。
そういった訳で、もう少し自問自答して参ります。