黒歴史について

今ここで少し目を瞑るだけで、出るわ出るわの黒歴史

人に言えるネタとして昇華されたものから、墓場まで持って行こうと決めたものまで

多種多様、空前絶後

ある意味では、成長の証とも言えるもので

黒歴史が全く無いというのは、価値観が変わっていないという事であって

それは別に褒められるものでも無い。

年を重ねるという事は、ブレーキを踏むという事を覚える事である。

若気の至りとは、アクセルを踏む事を覚える事である。

友達とは、自分の変わりにブレーキを踏んでくれたりアクセルを踏んでくれたりするものである。

今ではそんな風に思っている。

私があまりされたくない質問は、

高校1年生の時のバンド名は? というもので、

当時私は、

餃子幕府というバンドに所属していた。

所属していた という表現に私の意地とプライドが見え隠れするだろうけれど、

今振り返っても、やっぱり所属していた。一員だった。

あれは夢だったんじゃないか?と思っても、それは確かに現実で

言葉を変えれば、私は元餃子幕府のメンバーである。


他にも、

アメリカ屋でネックレスを買った(ジーンズメイトみたいな服屋)

通販でドッグタグを買った(軍人が首にぶら下げる認識票。自分の名前の刻印あり

等、人に言えるものを厳選してもこの有り様であって

これ以上は、人命に関わるので言えない。


ふとした人生の空白を、こういったものが埋める。


ネットが恐いなあと思うのは、ネット上での粗相は永久に記録され再現され新たに記憶され続けるという事だ。

一度の過ちが、永遠に繰り返されるというのは

人間にとってかけがえの無い忘れる という機能を剥奪されたのと同じで

これは人にかなりの自制を強いる。

黒歴史がある事で人は自制するが、

そこに他者からの攻撃が加わるのであれば、それはほとんど強制であって

それが死ぬまで続くのであれば、

叩く要素に事かかないこのブログも、どうかいつまでも人目に晒されず

ひっそりと継続していきたいもんだと深夜に一人首をすくめて