はるかぜちゃんから読み解くルールの話
はるかぜちゃんという人がいます。
http://d.hatena.ne.jp/afrogirl/20121107/1352307763
そしてそれをブログに書く松野君という人がいます。
そしてそれをここに書く私がいます。
先日、殺害予告→通報→お祭り という彼女の一連の騒ぎがあったのですが
現在自分に対しての誹謗中傷や「死ね」といった言葉を集めて
警察に提出する素材にしようとしているようです。
彼女の言い分を端的に言うと
「世の中を浄化したい」
まあそんな感じだとは思うのですが、これは考えてみると中々に深い問題を内包しているなと思った訳です。
以前も言った通り、芸術家は本来なら政治家になるべき存在で
何故なら世の中を本当に変えられるのは政治家だけだからなのですが、
では芸術家を日本人に置き換えるとどうなるかというと、
国民は全員、弁護士になるべきだ と言い換えられるのではないかと思います。
スポーツにおけるルールブックは、
日本における六法全書にあたりますが、専門家ですら全てを把握する事は出来ません。
我々はルールを知らないまま、この社会を生きています。
法治国家で生きる以上、ルールを知るのは当然だという理屈ですね。
それでも何とかやっているのは、そのルールがモラルに根ざしたものであるからと漠然と認識しているからだけであって、
当然、知らないルールをいつの間にか破る事もあれば
知りながらそれを破ることもあるでしょう。
私はよっぽどの事が無ければ他人を非難しませんが、
それは根本的には 世の中お互い様だよねという意識と、面倒な争いは避けたいという意識があるからです。
最近では、脱法ドラッグがやり玉に挙げられていますが
法律が増えると世の中が安心になる
そう考えるのは短絡的であって、
法律が増えれば増える程、私たちの自由は少なくなっていきます。
脱法ドラッグで言えば、同時に覚醒剤も使用しているにも関わらず、脱法ドラッグを使用したから事件が起きたとミスリードする報道がされていますがお気づきでしょうか。
警察が多い街と、警察が少ない街
どちらが治安の良い街でしょうかね。
かといって、殺害予告や死ねという言葉を吐く人を糾弾すべきではないとは思いませんが。
法律は、運用に関しては非常にデリケートに扱うのはご存知のとおりです。
警察の目の前で歩行者が赤信号を無視して道を渡ったとしても、
じゃあ即逮捕か?というとそうではありませんし、そういった運用がされないように警察を縛る法律もあります。
法律目線で見ますと、
「一応ルールとしてあるから、警察の目の前で破ったりとかそういうのは無しの方向でっつうか、その辺はあなたの常識を信用してるよ」ってなもんで
当然、各自の常識もバラバラですので
じゃあこれからは常識という事で大目に見てやってきたけど、
ルール破って怪我するバカが多いから、明日から破ったら禁固3年罰金100万な
となると、やっぱり生きづらい世の中だなあと思うでしょう。
今 はるかぜちゃんの身の回りで起きている事はそういう事なんじゃないかと思う訳です。
バカの為に法律はある
言ってしまえばこれだけの事ですが、これが真理ですね。
本当に殺そうと思って殺害予告をしている人は極々少数で、
本当に死ねと思っている人も少数でしょう。
でも、実際殺害されてしまった場合
責められるのは警察なので、そりゃ警察だって動きます。
で、本来捕まえるべき本当の殺害予告をしていた人に対する捜査はきっと疎かになるでしょう。
警察も限られた人員と時間で日々やり繰りしているでしょうからね。
彼女がエゴサーチで自分に関する悪意ある言葉を集め通報して、それで全員が逮捕されて
彼女に対する悪意ある言葉が消えたとして、じゃあ世の中が本当に美しくなるのか?といえば
きっと NO でしょう。
死ねだとか殺すだとかそういう言葉が、別の汚い言葉に置き換わるだけかもしれませんし
あるいは、矛先が別の人に向かうとかでしょうか。
逮捕された負の感情が、何か新しい事件の火種にならないとも限りません。
逆恨みと言ったところで、それはその状態を正確に言い表しているだけであって
起こってしまった事に関して、私たちは一切手を加える事は出来ませんしね。
結局最後までやった落とし所が、
通報を恐れて彼女に対する否定的な書き込みが一切無くなり、信者だけで馴れ合っている状態だと言うのであれば
別に今だって、ブロックして無視するとかわざわざエゴサーチしてまで見つけて来なきゃ良いだけじゃないかなあと大人の私は思ってしまいますね。
大人なのに働いていない上に、子供なのに働いている人に関して書いている私
そっちの話を突き詰めて書いてしまうと、死んでしまうのでやめますが
仕事の一環でトゥイターやってるだろう彼女に対して
話題にすればするほど彼女の思う壺ですわな
悔しいです