慣れる事の怖さ

7月ともなれば、今年から社会人になった方々はそろそろ仕事に慣れ始めた頃でしょうか。

早く仕事に慣れる様頑張りますっ きゃぴ☆彡

なんてな事を決意して日々、時間をやり過ごしていきますと頭より先に体が動く様になっていきますでしょう。

しかし、しかしです

果たして慣れる事は良い事なのか?という自問はありますでしょうか。

最近読んだものの本によると、

業が深い なんてな事を良く耳にしますが

人は行動を行った際の思考に癖がつくという様な事がありまして、

思考にある種の偏りがどうしてもついていく訳ですね。

そういった嗜好の深さを業、カルマと言うようで

私の様に 真ん中を目指す者にとっては非常に危険な状態な訳です。

政治的な姿勢というのは、

左翼か右翼かしか無い訳ですが、どちらも理解した上で右なんや!と選択するのは大変結構ですが

自然となんとなく右よりの考えをしている ってのはよろしくないでしょう。

そういう人は気づかないうちに人の足を踏んでます。


男子に分かりやすく説明しますと、

AV等で、やる気が満ち満ちていて笑顔でハッスルの二刀流なんてなものを見ても

そうじゃねえんだよなぁ というのと一緒で、

やはり 恥 というスパイスがあってこそのエロスな訳です。

本来彼女達もプロでありますから、

嫌々やるなんてのはもっての他だ プロ意識を見せなさいなんてな人はこれ全くエロ評論家としては論外であって

そういう人はアメリカ産のポルノでも見てなさいと言いたい。

プロであってもいつまでも初々しくありたい。

そういうものに

わたしは

なりたい

宮沢賢治であれば言うはずです。


私の悩みもそこにあります。

技術が向上してくるとどうしても作業的になってきます。

良い結果を求めて始めは努力をしていましたが、

最初の頃は技術が未熟ですから、良い結果を得るには良い努力が必要でした。

しかし技術がついてきますと、

良い努力をせずとも良い結果が得られてしまいます。

それでは何も面白くないのですね。

面白さを求めて音楽を作っていたのに、面白くないのではやる意味がありません。

そうなってくると、良い努力を得る為に良い努力をするという

努力の無限ループが訪れます。

こうなってくると、

今までやってきた良い音楽を作る為のノウハウを捨て

逆に悪い音楽を作る技術の中にヒントがあるんじゃないか?

と悪い音楽を作る為に努力を始めてみたりして、完全な本末転倒が起きてしまいます。

そういう時に、

立ち止まって振り返る。

初めて出会ったあの日を思い出す

そんな時間が大切になってくるでしょう。

冠婚葬祭が大切にされるのは、普段の時間の流れから開放されて

一時考える時間が出来るからであります。

この夏は是非田舎に帰ってそんな時間を過ごせるといいなと願っております。

最近肩こりが激しいですが、

この空が重すぎる

なんて事を言うとかっこ良すぎるのでやめときます。

うんこ