仏教からいじめ問題、生きる事の考察

最近はブログの更新もせず何をしているんや 

最近私はオウム真理教からいじめ問題について考察し、仏教の入門書を読む毎日です。

といって、その本も作者がニコニコ動画の配信をしていたりゲーム用語、ネットスラングを多用した文章だったりと

そういったものに惹かれて買っただけですが、いやこれが面白い。

蝉丸Pという人の本なので気になった人は検索すればよろしいです。


まあ何故そういったものを読むなんて気分になったかというと、

やっぱり知識というのはあればあるだけ良いもんで、

中途半端にしってる位なら完璧に知っておいた方が良い事が多いっていうのは

HUNTERXHUNTERにおいて師匠が言っていた言葉でもありますが

何故に高学歴の人がオウム真理教の信者になるのだ?

そういうのを不思議に思う方もいるとは思います。

新興宗教ねずみ講にハマるその理屈を知っていたら、

心の防御を高めるのに役立ちますし、そういった知識は予防として事前に蓄えなければ意味がありません。


私自身、以前住んでいた所では宗派が3つ入り乱れての同居生活でありまして

そういった事について考える時間を与えられたのは大変意味ある事でした。

信者だからといって差別する様な人は、宗教についての知識が無いと言ってるのも同様ですし

そういった考え方がいじめの温床となっているのは周知の事実です。


哲学が答えを未だ出せないというのと、

宗教が未だ一つに統一されないのは環境の違いが大きく影響していると考えられます。

人はそれぞれが全く異なった環境で生きていく訳で、

その環境に適した考え方、生き方の見本となるのが宗教や哲学ですし

宗教というものがあるおかげで、一々お互いのルールを確認しなくても良いというメリットがありました。

しかし現在の日本は法治国家ですので、

宗教における戒律の変わりに法律があり、法律こそが全ての基準になっています。

長年問題に思っていますが、

六法全書みたいな書物の全てを暗記する事なんて不可能なのに、

我々はそれを元にした世界に生きていますし

生きられているのは、道徳や宗教観を元に法律が出来ているお陰です。

田舎を捨て、今都会に住んでいる人は

村社会の窮屈さが嫌だったり、相互扶助なんていらないんや

物質こそが正義なんや 仕事がないんや

そんな人が多数だと思いますが、それではきつい きつ過ぎますよという人の受け皿になるのが

宗教だったりします。

俺は一人で生きていくんや

そんな人はあらゆる物を金で買うんや というのと同義であって、

万が一お金が無くなった場合、死ぬしか道が残されていません。

ホームレスになる位なら死んだほうがまし というのも、

その立場になったら死んで終わりです。

そういう意味で、知識を蓄え己を研鑽する事は自分の命を守る事にも繋がっていくでしょう。

仏教的な自己鍛錬とは簡単に言うと、

人に優しく 自分に厳しくであって

そういう生き方をする事によって、敵を作らず周りからの信頼を勝ち取る事で

みんなが幸せになれるんだぜ という事の実践です。

自己中心的なものの考え方や、自分だけ良い思いをしたいという欲望が

禁忌としてあるのは、そうする事が自分を守る事にも繋がるからで

私財を持たない、肉を食べないというのも理に適っています。


先日まで色々なジャンルの音楽を紹介してきたのも、

偏るのはかっこ悪いというのもありますが、

パンクしか聴かない人や、ロックしか聴かない人の多くが

パンクだけが最高! だとか、 ロックこそが最強! と言いがちであって

排他的な姿勢は、攻撃的であり盲目的であり強度もありますが

いざ根っこが揺らいだ時に、激しく脆いというのがあって

世界一硬いのはダイヤモンドであっても、

世界一壊れないのは水や空気なんだぜ という私の哲学の現れでもあります。


私は今宙ぶらりんの中、皆様の幸せを願ってやみませんが

情けは人の為ならず とは良く言ったもので、

他者に優しく生きていきたいと思います。

説教臭く、面白味の無い文章なのでひっそりと更新しますた。

楽しい事や、これについて書けよ というのがあれば

私の気分高揚にもなりますので奮ってコメントしても良いんだぜ

では また!