七夕祭りと抽象性

今週のお題「私の七夕」

現在私は仙台にいるんだけども、七夕祭りっつうのがある訳ですよ。

まあ とりあえず見て下さい


こういった吹き流し的なものが飾られる訳ですね。

どうでしょう 抽象的ではありませんか。

青森で育った私には、祭りと言ったらねぶたってのが当然あって

やっぱり神輿的なものは担ぎたい。

わっしょいわっしょいも無く、

アルコールの臭いも無く

ただただ色とりどりの抽象的なものがぶら下がる。

節子 それは祭りとちゃう。

そう言いたくなるのも無理ありません。

逆に言うと仙台で育った人がねぶたを見ても、

何もぶら下がってない祭りなんて・・・

と思うかもしれません。

しかし、しかしです。

ねぶたには少なくともデフォルメがある。

三国志だったり、水滸伝だったり、平家だったりとかが元になってる。

何やねん七夕祭り。

実態が分からない。

虹をかけたいのか?

エルヴィス・プレスリーへの追悼なのか?

ドリーム・キャッチャー的なあれなのか?

何がしたいんや

私は初めて七夕祭りを見た時狼狽し、取り乱し、生気を失い、笑顔は引きつり

体は痙攣し、口から涎が流れ、ただただぷるぷるとしておりました。

そして、今もって七夕祭りとは何なのか?を考える日々を送っています。

そして今年こそ

今年こそ、その実態を掴みたいと心に決めているのでした。