ネット開通にともなって

久々の更新になりますた。

ネットの開通って結構時間の掛かるものなりけり

なんてな言葉を先人の誰かが残してくれてたら心構えも出来たってなもんで

それを先人の誰もが残してないってなると、

孔子も恐るに足らずと そう思います。

ブログの更新と更新の間には当然、日々の生活等があるのだけど

ある意味でブログの更新しかやることが無かった様な生活であれば、

日々の生活それ自体が

空白の時間。漂白の時とでも言える様なもんであって、

ではその真っ白な時間を如何様に染め上げたかといえば

わたしは、日々これソリティアをもって染め上げたものでした。

毎朝、彼女のランチとなるおにぎりを作ったりサンドウイッチを作ったり、掃除をしたり洗濯をしたり洗い物をしたりとしてはいましたが

そういったものは誰でもするものであって、

私がこの3週間ばかりやった事はと言えば

ソリティア

これに尽きるわけなのであります。

最初はただの暇つぶしとして始めたものでありましたし、

スパイダーソリティアの方が面白いと思っていましたがいや

やり込む程にソリティアの奥深さにのめり込んでいったのでした。

今では、

ソリティアとは人生である

と後世の暇人に言葉を残してあげたいくらいソリティアの魅力が理解出来ます。


ではソリティアの魅力、ひいてはパズルゲームの魅力について少し語りたいと思います。

パズルゲームには、大まかに分けて2種類のジャンルが存在する様に思います。

一つは、必ず解答が用意されたもの

もう一つは、運の要素があるもので

ソリティアは後者の運の要素があるものだと言えます。

ちなみに詰将棋だとか倉庫番といったゲームやジグソーパズルなんかは前者に当たるものです。

完璧主義者の傾向がある私は本来そういった解答が用意されたものに臨むのが好きでした。

自己をコントロールしある目的に向かって地道に思考を積み上げるというのは、音楽をつくるのと似ていますし

そういった作業自体が好きなのでしょう。

しかし、

今ではソリティアのような自分の力ではどうにもならないもの

その儚さがまた愛おしいと思えるようになりました。

人はこれを成長と呼んだりしますが、

私はこれを老化と呼びたいと思います。

私の人生、思えば 思い通りに事が進んだ事なんて何一つ無いという

一寸先は闇

と言えば戦前、太平洋戦争に突入しようかという時代の如くですが、

むしろ

長いトンネルの中にずっと居過ぎてそれがトンネルだという事すら忘れてしまった様な人生と言えば

ハンケチの一つも無いと聞いてられない悲惨さですが

まあ実際それ程その比喩は的外れでは無いでしょう。

人生とは思い通りにならないもの

そういった事を日々感じてきた私にとって、

ソリティアも又思い通りにならないものでありました。

なんでキングの下にクイーンがあるんだよ とか

初手からエース4枚見えてるのになんでいきなり手詰まりなんだよ とか

そんな事を感じる日々でした。

負けが込み過ぎて勝率が1割を切っていた頃、

私は一番始めに配られたカードを見て、これはクリア出来そうだな と思ったものだけをやるようになりました。

私は来る日も来る日もF2を押し続けました。

F2を押すと新しい手札がどんどん配られるからです。

これはいわばパスであって、

勝敗には影響しません。

私は狂った猿の様にF2を押してはカードを確認し、いけそうだなとなったら

その時初めてソリティアと真っ向から取組むという具合でした。

この作戦は成功でした。

私は勝ちを重ね続け、1000の勝負を積み上げた頃には

200勝も目前で勝率は2割になろうかという具合でした。

しかし、勝ちが安定的になってくると

今度はそれがいささか退屈になってきます。

はじめに良いカードが配られるのを確認している訳ですから

気持ち的には勝って当たり前というか

野球で言うなら巨人

サッカーで言うならブラジル

コーヒーで言うならスターバックス

そんな心持です。

私の人生、いつだって挑戦の連続でした。

勝って当然の勝負に勝っても何の感動も得られなくなったのです。

そして私はカードを選ぶのを止めました。

どんな手札でもバッチ来い

私は挑戦者に戻ったのであります。

そんな日々を過ごして今思う事は、

ソリティアで勝つ度に誰かお金をくれないかなあという事です。

ご清聴ありがとうございました