良い音楽、悪い音楽

去年あたりから菊地成孔信者としての活動をしてきたのだけれども

菊地成孔大谷能生の「アフロディズニー」まで読み、また日々様々と思考し思った。

良い音楽とは何か という事の答えは、

自分は何を良いと思うか を突き詰めていった果てにしかない。

楽家もまた、音楽家の自負があるのであればエントロピーから逃れる事はできず、

歴史の破壊を声高に叫んだパンクロッカーも、

パンクロックが歴史になってしまった時には、パンクロックを破壊するしか無い訳で

そうやって、ジョン・ライドンジョニー・ロットンになり

ジョニー・ロットンジョン・ライドンになってきた。


私がまだ10代のストリートギャングだった頃、

良い音楽とは、良いメロディーの事であった。

故に良い音楽にはB'zやBOOWYといった音楽が含まれ、ただただ受動的にそれを受け入れ

何も考えずにBOOWYの下敷きを使っていたのである。

それから、ベースという楽器を始めると

良い音楽とは、良いベースの事を指すようになり

ビリー・シーンからジャコ・パストリアスを経てフリーに至った後も

ジェフ・バーリン、ジョン・パティトゥッチ、ジャマラディーン・タクマといったテクニカルな面々に魅入られ

現在、

ベースが巧い人はチェックのシャツを着がち という説を立証する為

寝る間を惜しんでチェックシャツを検索していたところ、

いわゆるA-BOYファッションとの類似性を発見。

そこから思考を更に進めると、A-BOYというものが持つ因果

即ち、誰もA-BOYに憧れてそういった格好をするのではなくして

ファッションに興味が無いからこその結果的チェックシャツであり、

逆に言うとファッションを気にする暇と手間を全て楽器の練習、

具体的には音階を速く弾く等の事に費やしている訳で

チェックシャツのベーシストは、基本的にベースが巧い。


私が17歳の頃は、

良い音楽とは、良いアレンジで良いメロディーが良い音で鳴っている事を指していて

これは今もあまり変わっていない。

それから良いメロディーとは何かを突き詰めていった結果、

エルヴィス・コステロの作曲術

ハルカリのラップ

エルメート・パスコアールの大統領演説

が私の中で混ざり合い

それに更に

ビートルズの作曲術

ビーチボーイズの作曲術

テーム・インパラのアレンジ術

アヴァランチーズの新譜を聴いて考えたのは、音楽の未来である。


テームインパラの Let It Happen という曲は、非常に革新的な楽曲構造を持っていた。

ドミナントモーションという言葉があり、音楽は基本的にこの構造から逃れられない。

Ⅱ−Ⅴ−Ⅰ という直接的なコード進行だけでは無く、

ドラムのフィルイン、ベースのオカズ、ブレイク等

時間芸術は娯楽の割合が高まる程、起承転結という構造から逃れられなくなっていき

結果、大なり小なりドミナントモーションは起こり続ける。

ではテームインパラの曲はどうかというと、

フェードインとフェードアウトで楽曲が繋がっているのであって

AとBというパートが切れながらに繋がっている。

AからBパートに行く際のドラムにはフィルターがかけられ

高音が少しずつ減り、音もフェードアウトしていく。

つまり、このフィルターがかかったキックがドミナントモーションとなっているのだけども

ドミナントモーションというのは楽曲にメリハリをつける為にあるものなのであって

普通であればフェードアウトしたキックをもう1度ガツンと頭から鳴らすべき部分で

ぬるんと歌が入ってきて曲が展開する。

これだけであれば、ビーチボーイズ「グッド・ヴァイブレーション」にもこういった展開があるのだけども

BからAに戻る部分でも、フェードインが使われていて

意図してドミナントモーションを起こさない様にしている事が分かる。

これは革新的な音楽的挑戦であり、頼もしい。

こういったアプローチがかつて全然無かったかと言えば、

たぶん 10cc「I'm NOT IN LOVE」のBパート部分の入りとかがそれであろうし

影響も受けているのだろうけども、どちらも素晴らしい。


アヴァランチーズの新譜は、前述のパスコワール理論からはみ出る部分が少ないものの

1曲目は、長い周期メロディーを狙った実験作で大変良かった。

楽家の日々の目標は、いかに長いメロディーを書くか という事である。

そんな事を考えていた最近。

現在オリンピックを見ている。

オリンピックの競技は、基本的に戦争で使う技術が元になっていると聞いたことがある。

槍投げ砲丸投げレスリング どれも原始的である。


そんな中、男子板飛び込みという名の

エクストリーム飛び降り自殺を今ぼんやりと見つめている。