ブルーノマーズにおける中性的という言葉の刷新性
フリップフラップ以降、中性的と表現される際は
妖精的というか単純に性差を超越するベクトルだけでは無いニュアンスが含まれるようになってあって
本来であれば北斗晶もジャガー横田も中性的と表現されて良いはずなのだけども
言うに及ばずなのか知らんがあまりそういった表現は聞いた事が無い。
そこでブルーノマーズである。
ブルーノマーズを一目見て私はおばさんのようだ と感じた。
しかしただ単純におばさんに似ているだけではなく、
そこにはおばさんがおじさん化していく過程までも切り取られたドキュメント性があり
おばさんという言葉にそもそも含まれているおじさん化への動きまでも含めた上で
つまりおばさんそれ自体の持つ中性的側面も含めて、
ブルーノマーズはおばさんのようだ と思う。
これは逆説的に言えば、
ブルーノマーズはおじさんのようだ とも言える訳で、
そりゃ単なる老け顔でしょ と言う人もいるかもしれないのだけども
いや むしろブルーノマーズは童顔であって、
童顔なのにおばさんとおじさんを内包するその顔面に
私はアップタウンファンク。革命。