私からみたモードジャズ

初めてやったジャムセッションは1コード1発のファンクだった私にとって、

モードでアドリブをする事はむしろ当たり前の話で、むしろコーダルにアプローチするやり方が分からないというか

そもそもコードがグングンに変わっていく曲をジャムろうなんてな事すら考えた事もなかったので

私にとってモードとは非常に簡単な作法の如しであった。

菊池成孔先生も仰っている通り、ロックというのはマイナーペンタ1発で全部OKの

モード的な演奏が主軸にあるのは間違いない。


また、バップという音楽から零れたマイルスデイヴィスについて

バップの垂直性に対して、マイルスは水平的だ なんてな事も言ってあるのだけども

私にとって作曲とは息を吸うのに等しい行為なのだけども、

作曲というのはそもそも、水平的動きであり

無限の即興から選択し、永遠として定着させる芸術行為であると私は考えるのだけども

「カインドオブブルー」というアルバムは正に究極の作曲であって

そこで鳴っている音も、鳴らされなかった音も含めてあの作品があって

特に、そのコードのヴォイシングがロックでは絶対に聴けない響きで

「so what」でいうところの

D F G A C というコードにおけるsus4がM3に解決しない事で起きる緊張感の持続が

私はすごいなあと思うのだけども、5音というほとんど面といっていい音で

モード演奏を成立させているあのピアノこそMVPなのだなあ

すごいなあ 良いなあ と

今現在 新たに自身を見つめ直している最中。

CEROの去年出たCDを先日聴いて、

半分悲しく、半分嬉しく

マイルス・デイヴィスがオーネットコールマンに感じたであろう感じを私も感じた

今日、無事新撰組を借りれた。