外崎先生という名の心の恩師

今週のお題「思い出の先生」

私が心に好奇心というモンスターを飼う事になったのは、

紛れも無く小学6年生の時の担任である外崎先生の教育の所為である。

外崎先生とはどういう人だったかというと、当時としては若い男の先生であり

正義感の塊でありながら、柔軟性もあり

鬼の顔と仏の顔を同居させるルーキーズでいうところの佐藤隆太的な感じで

算数の時間がいつの間にかローマ数字の話になり、いつしか古代ローマの話になり

最終的には社会の授業になっていた みたいな事が多々あって、

私はそんな先生の脱線に脱線を重ねた結果、全然違うレールに乗ってました

みたいな授業が大好きで、勿論先生自身の事も大好きだった。

当時私はお笑い芸人になりたかった様な人間で、

ひょんな事から女子を泣かせるみたいな事があると、帰りの会がそれはそれは恐ろしく

といってもこちらに非があるのは子供ながら百も承知で、

そんな時は、くどくどと説教する事も無く

分かっているね 的な感じで、ゲンコツを脳天に頂戴したもので

ではそれで先生を恨むかというとそんな事は全く無く

悪い事をすると罰せられるという至極当然の成り行きに納得してあって、

しかしながら先生のゲンコツは油断していると少しおしっこが漏れるくらいの衝撃があり

私は痛さと共にもう女子を泣かせない というアホな誓いを立てるものの

修学旅行の際にはテンションが上がり列を離れてゆらゆらしていたところ、

列を離れるんじゃないという理由で再びゲンコツを頂戴し、

私は痛さと共にもう列を離れない というアホな誓いを立てながら、

修学旅行という行事を考えるならば、もう少し手加減をして欲しかったなどと子供が考えそうな事を考え

そんな思い出と共に今外崎先生を思い出している。

それから後、世間では体罰問題なんかが取り沙汰されたりなんだりした際も

ふと外崎先生を思い出しては元気にやっていらっしゃるかなと思ったものだけども

風の噂で、今先生はフリースクールで先生をやっているような話を聞いただけで

卒業以来私は一度も先生にお会いしていない。

先生の教育が間違っていたのか現在私は非正規雇用です。