音楽家にタイムカードが無くて
海外のミュージシャンに対して、
「あなたがもし他のバンドの人間と入れ替われるとしたら、どのバンドの何の楽器を担当したいですか?」
という質問をしたら9割の人間が口を揃えて
「AC/DCのドラム」 と答えるという事が分かっている。
音楽という言葉は音を楽しむと書くなんてな事を世間では言うが、
実際は、楽をして音でお金を稼ぎたいあわよくば音を楽しめたらモアベターという事で
私もAC/DCのドラマーになりたい。
同様の質問を日本のミュージシャンに対して行うと、
「くるりのベース」という答えが9割に上るという
のは完全な嘘なので騙されないようにしたい。
最近は宇多丸先生の批評を聞き、それとは関係無く映画を観て
泣きながらギターミュージックを録音しているが
宇多丸批評を多数聞いた結果思うのは、映画における機能性であって、
無目的に娯楽映画が制作される事が無い以上、そこには必ず結果があって
上映を前提に制作された映画はその因果から逃れられないという事があって、
「何も考えずに楽しめる」
という事がいかに大変な奇跡であるか、逆に言えば
いかに観客に何も考えさせないか、そして何を考えさせたいかのコントロールこそが
脚本演出の良し悪しの全てと言って良いのだなあ と改めて思い、
また良い映画だけを観続ける事も不健全な気がしてくるというのは、
宇多丸ラジオの負の一面の様な気がしなくもないが、
実際問題「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」を観て大変素晴らしいと思った私ではあるのだけども
じゃあそれを書く事で面白いブログになるかといえば、無理っぽい感じがあって
宇多丸先生はスペースオペラにおいて初の音楽表現と仰っていたのだけども、
その萌芽は、「ウォーカー」で既に見られたと思うがどうなのだろう 位しか言う事が無いのだけども
人の批評を先に聞いてしまうと、なかなか自分で書く気は起きないという問題がある。
日本には、「藤原竜也問題」と「吉岡秀隆問題」「辻仁成問題」と様々な問題点があるが
今後は改めてそういう問題と向き合っていくのが私にとって良い事なのかもしれない。