松本人志「しんぼる」を観た

好きな映画監督は山ほどいるし、好きな作品も山ほどあるのであって

この監督が好き なんてな物言いをするとなれば、

自分はこのように他人から思われたい という意思表示に過ぎない時代にあって、

糞味噌に言われている「しんぼる」が何故酷評されてあるのか考えながら観ていたのだけども

見終わってヤホーのレビューを拝見したところ、

☆4つ、☆5つの好評化も散見され、大変に驚いた。

「2001年宇宙の旅」の評価の裏付けには確かに壮大なストーリーというのがあるのだけども

映画鑑賞にあたってそれが土台にあるかというと全くないと言ってよく、

純粋に音楽と映像で擬似宇宙体験が出来る機能的な性質であったり、

映像を撮るにあたっての技術的革新の裏付けであったり、

勿論映画史に残るジャンプカットも含めて、抜粋して語る事が出来る面が多々あり

「2001年宇宙の旅」を語る事は楽しい。


「しんぼる」という映画はトータルで観て糞だなあという印象が強く、

抜粋して語るのも馬鹿らしいと思わせるという点で文句なしの駄作だと思う。

白い部屋に松本人志が一人

という事前に知っていた情報からソリッド・シチュエーション・スリラーだと思って観始めたところ

映画はメキシコから始まり、その後唐突に松本人志が登場する。

ソリッド〜を構成させる要素は、

ロケーションとその場の状況であり、当事者は観客と一緒に現在そこにある謎に取り組む事で

物語の求心力を生むのだけども、白い部屋の松本人志

ここから出たい という意志しか持っておらず、

何故ここにいるのか?という問いを発しない為に、

観客としては、延々と疑問を棚上げにされたまま物語は進んでいく。

物語の最終盤で松本人志が誰かは分かるようになっているものの、

松本人志は最終盤まで、ここから出たいという欲求しか見せず、

故に自分が誰かが分かった時も、「で?」という感想しか出てこないのでは

この映画は失敗なんじゃなかろうか というのが私の感想で、

もし仮に松本人志が、

自分は誰なのか? ここはどこなのか? 何故ここにいるのか?

という疑問を我々に投げかけていたのであれば、

なるほど! と思ったのかもしれないし、思わなかったかもしれない。

私が一番醒めたのは、

重い壺を移動させる時に、何故回転させて移動させないのか

ドラム缶を運ぶ際の基本的な運び方じゃないか。という部分で、

脱出したい という欲求だけ提示しておきながら、

脱出に際してもあっと驚くギミックがある訳でも無く

物語後半で、様々な国が出てくるのも

だったら「ラブ・アクチュアリー」形式で複数のストーリーを絡めた方がカタルシスがあるだろうに

一々一個一個を一から観させられるのはしんどいなあ と思いながら、

感触としてはニコラス・ケイジの「ノウイング」を観た感じに近いかなあと

そう思ったのでした。

宇多丸先生はどんな評価をしたのだろうか気になる