BPMが音楽に与える影響と年齢の関係

前回 桃色ハートという楽曲のリメイク、再録音に取り組んだ私は

8ビートを16ビートの弱シャッフルなノリに変えるべく奮闘の日々を過ごした。

簡単に言うと、若かりしあの頃の楽曲を渋さが隅々まで行き渡ったいぶし銀の技で

今聴いても古く聴こえないように作り変えようと そんな戦いであった。

この戦いが敗色濃厚である頃、あー ビートルズビートルズと思ったっつうのは

BPMと曲構成の関係性である。

巷ではカバーカバーだつって、

人の褌で相撲を取るおばさんこと、メイジェイや

レット・イット・ゴーのカバーの完成度はどうなんだこと徳永英明が絶賛稼働中なのだけども

楽曲をカバーする際に向いてるジャンル、向いてないジャンルっつうのは間違い無くあって

BPMが速い方向で変わる分には基本的に楽曲の良さは損なわれないと考えて間違い無い。

良く日本のうんこみたいな糞パンクをやってます的なチャラチャラした人達が

いわゆるパンク的では無い楽曲をカバーしてドヤ顔をするというのも

理に適っている行為で、パンクカバーの場合必然的にBPMは速くなるので

原曲の良さが完全に駄目になる事はほとんど無い と何故言い切れるかというと

ビートルズ。初期ビートルズをちゃんと聴けばそれは経験的に学習出来るのです。

初期のビートルズと中期、後期のビートルズにおいて最も顕著に違うのは

BPMと楽曲の構成と言え、つまり初期の速い速度の楽曲では

4コーラス目まである事も少なくないのに対して、

中期、後期では3コーラスまでで大概曲は終わるっつうのはこれ、

偏にBPMの問題だろう と私が睨むのは

BPMが速いとどういう効果があるかというと

単純に展開が早く、ぽんぽんと曲が進んでいく感じ ぐいぐい来る感じ

ちょっとちょっとおっぱい当たってますけど 的な感じ

そういう良さがあって、なので楽曲というのは

その曲の良さが損なわれない程度にBPMは上げるべき と言えます。

しかしながら、BPMが速い事で失われるものもあって

それは渋さであったり、余裕であったり、落ち着きであったりするっつうのはたぶん

人間それ自体がビートを生み続ける楽器の様なものだからかもしれないからで

子供の心拍数とじじいの心拍数では、じじの方が少ない訳で

それが例えジャズやクラシックであっても、ある程度以上のBPMを超えると

聴いていると落ち着かない感じ、興奮作用があるのは間違い無いっつうのは

道化師のギャロップ みたいな運動会で流れるような楽曲しかり

ジャズの様々なライブ盤を聴けば承知の通りで

故に、故に私は自分の渋さ方面でガンガンに頑張ろうとしたのだけども

いかんせんBPMを遅く遅くしがちで、楽曲の推進力が足りない気がして

しかもそれに8ビート問題まで絡む有り様。

渋くて目茶苦茶格好良い8ビートは可能かというロック高齢化問題も絡む事態で

最早 体が8ビートを拒絶している感覚まであって

8ビートをやっていると私の中に流れるジェームス・ブラウンの血ないし、

プリンス、マイルス・デイヴィス久保田利伸の血が

耳元で、ファンキー、ファンキーと囁いてきて

次第に私もファンキー!ファンキー!となって、

気づいたら16ビート。

楽曲が本来持っていた単純明快なポップさ 愛らしさが雲散霧消。

おっさんが無理をして若者の曲をAORにしましたみたいな有り様で

現在私の頭髪はハゲ進行真っ盛り。