大卒のロッケンローラー

言ってしまえば大卒にロッケンローラーの資格は無い。

ロッケンローラーとは職業では無く有り様であるからで、心の模様の事である。

昨今の何でも高学歴みたいな風潮において、ロックにおいてはその存在が許されない。

その意味でもロックは死んだ。

ロッケンローラーの資格は、10代からせいぜい20歳までの短い間にのみ存在する。

何故なら選挙権とロックは矛盾するからである。

誤解を恐れずに言えば、テロリズムはロックであるとか言うと誤解されそうなので止めにするが

ロックとは力なき者の社会運動であって、

選挙権を持ってしまった時点で社会変革の資格を有してしまう事で

それはほとんど茶番染みてくるっつうのは、

バンドがどんどん政治色を出してきて気持ち悪いっつうのと併せると悲劇で、

ギターを持った時点で負け犬というか、

学生運動真っ盛りの頃にフォークソングを歌った人間の落伍感、裏切り感っつうのも

その部分に悲劇があるってのは、現在の左翼の悲しさと同義で

例えば尾崎豊の曲に、

夜の学校の窓ガラスを壊してまわった なんつうのがあって、

何という無法者かっつう歌詞なのだけども、

これを社会人の立場から歌うと、

夜の会社の窓ガラスを壊してまわった なんてな事をしたらば

器物損壊で逮捕なのだけども、

中高生っつうのは社会の法の埒外でありその権利は少年法によって守られてあって、

そんな無茶苦茶をする奴が、この支配からの卒業とか抜かすのであるけども

そんなに嫌だったら学校に行かなければ良い話っつうのは、

フリースクールが一般的になった現在の価値観で、

少なくとも窓ガラスを割ってました何てな歌詞を歌って通用するのは、

10代の頃までっつうのは、つまりそういう事である。

20歳を超えて社会に出たらば、

行きたくない会社であれば、辞めれば済む話なのであって

坂本龍一含め多くのミュージシャンが反原発運動に参加するなどするのだけども

20歳を超え被選挙権を得ている者であれば、

本気で反原発を成したいのであれば、立候補して総理大臣になるなりすれば良いのだけども

選挙というルールを作ったのも体制側であり、

力なき者は非合法のパワーで成すしか無いみたいな諦めムードが

つまり今現在の左翼であり、

力なきという部分でロックと左翼は常に共鳴しやすいと言える。

反体制という部分で共鳴している割合は極めて少ないのではないかと私は勘ぐっている。

何てな事を箭内道彦を見ると私は考えてしまう