映画を観て小説を読んでリズムを叩いて

映画だ小説だと物語にたくさん触れる事で

他人の人生、自分の人生では味わえない事を疑似体験する事により

自分の実人生において様々な状況に対応が出来、また色々な人物に感情移入する事により

人の痛みが分かる善き人物になっていく

何てな事で、そうだよねえ と思っている。


しかし、そういった娯楽に対してすぐに実用性を求める声には

そういう事じゃねえだろう とも思う訳で、

読んだけど為にならなかった 何てな本のレビューを読んでも

筆者も別に何かの為になる様な事を書きたかった訳ではあるまいて と思ったりして、

そんな方は新書でも読んでなはれ と思うのだけども、

正直、大量破壊兵器を奪還する主人公の人生を追体験しながら

果たして私の人生においてこれと似たような出来事に遭遇する事はあるだろうか

何てな事を考えない事も無く、しかしながら

映画にもたくさん登場人物はいる訳で、

銀行強盗に入られた際、おろおろするだけの人を拝見し

おろおろの予習にはなるのではないか と思ってみたのだけども、

そういう事でも無い と思い直し、

しかしながら、「96時間」のリーアム・ニーソンには痺れ

誰かが誘拐された場合の対処は既にインプットされてあり、

電話で助けを求められた際も冷静に、

「お前はこれから誘拐される。落ち着いてこれから俺の言うことを聞け」

というセリフがすらすらと出てくるはずなのだけども

あぁ

その後の対処を完全に忘れてしまっている事に気付き愕然。

助けを求める相手に、相手の状況を説明しただけという無能。

これでは何の為に映画をたくさん観てきたのか分かりゃしない つって、

いやいや別にそういう事の為に映画を観てきた訳じゃねえ つっても、

人生における重要な局面において、モアベターな対処が出来ないようでは

人生経験も糞もあったもんじゃなく、

私は果たして何の為に映画を観ているのか と思ったのだけども、

まあ大丈夫。

慌てふためく民衆にはなれるであろう

と含蓄の少ない歌詞を書きながら言い訳めいて。