ホセ・ジェイムスに関する音楽的考察

前回、コード表現における現代的なアプローチという事で

先進的な人々はそこの部分、もっと言うとステレオ表現で苦悩していると書いた。(書いてない)


苦悩、これはつまり何かと何かを天秤にかけて悩んでいるという事で

ひとつは、コード進行が飽和状態であり単純にコードを鳴らすだけでは最早成立しない現状があるという事から

コードを選択する上での選択肢が狭まりすぎてるというもの。

もうひとつはそれを鳴らす際にステレオ上でどう再現されるかという問題。

ステレオで再生される際、最も強く鳴ってくれるのは当然中央である。

しかしながら今では、空間をどう設計するかが録音における至上命題で

その部分で皆 色々と悩んでいる。



ベックの新譜1曲目、この楽曲ではセンターから少し左側でアコギが鳴っている。

今までのやり方であれば、2本のアコギを別で録音して左右に振るのだけども

何故別で録音するかというと、左右同じものが鳴ると結局センターで再生されるので

微妙に音の設定を変えたり、録音のテイクが違えば全く同じに弾いたつもりでも

ピックの当たる角度、マイクとの距離で結局微妙な差異が生じて

それが左右の音の違いとしてステレオ上で再生される為で

例えばギターロックでいうと、

ユニコーン「スプリングマン」、ゆらゆら帝国「ミーのカー」なんかはそうしてあるのだけども

ベックがここで試みているのは、空間を残響で埋めるという方法で

微妙にストリングが鳴る部分も本来であれば、左右に振ってステレオ感を出すのが通例なのだけども

中央よりで鳴らして、その残響部分だけを左右に振って空間を表現してあったり、

特にこの録音で凄いのはボーカルの残響と、別録音のボーカルが複雑に絡み合う部分で

ボーカルだけで何トラック使ってまんねん という

10年以上16トラックで録音している身からすると実に贅沢な録音であり、

それを実際コントロールしているナイジェル・ゴッドリッチは

神様で金持ちという非常に縁起の良い名前で頼もしく、

素朴な楽曲ながら裏では実に様々な実験が成されている。


ホセ・ジェイムス ブラックマジック「promise in love」



この楽曲は中央でエレピが鳴る以外はコード楽器は無いのだけども

ボーカルが左右と真ん中で鳴るという構造で、空間を表現している。

それにホーン・セクションが中央よりの左右で鳴る事で、コードを補強してあり

非常に現代的なステレオ表現になっている。

私が面白いなと思ったのは、これがジャズ・ミュージシャンによるものだという事で

今現在のジャズ・ミュージシャンのプライドの在り方として、

複雑なブレイクビーツも、2枚のレコードのドラムのずれも生で演奏出来まっせ という生至上主義があるのと並行して

録音でしか出来ないアプローチもこの様に普通にこなす辺りで、

つまり録音は録音として生の音を記録するだけに留めていない感性が、

非常に現代的だなあ という事で、

この他にもブラックマジックというアルバムには、

多彩な味付けがあって、

この楽曲は、コード進行が通常のポップスなのだけども

薄ーくシンセのストリングスでコードを面として左右で表現して、

それにフェイザーをかけてあり、これはここ最近の私の曲で必ずやっている方法で

それをする事で私の場合は、安い機材を出来るだけ高い値段の音にしたい何てなセコい狙いがあるのだけども

この楽曲の場合は、同時にヒスノイズを出していてそれとの調和も図られている模様。

その上で中央付近のサンプリング音源が鳴るので

実に浮遊感のあるサウンドになっている。

しかしそれだけで終わらないのは、ドラムである。

8か16小節の最後に入るキックが微妙にシャッフルしている上に

ジャストから大分後ろのタイミングで鳴る事で、もたっとした雰囲気を生んでいて

で、よくよく聴いてみるとハイハットも微妙にシャッフルの後ろノリで

ベースはもたつくキック部分の頭だけを弾く事で、それを強調してあり

うーむ 良く出来ている。

ホセ・ジェイムス

侮れないミュージシャンだと3日前に聴き始めたのは遅かった気がする新年1発目。

明けましておめでとう

私はいまだ成長中