ナチュラルに恋して をどう聴くか

音楽をたくさん知るとはどういう事なのか

それは単純に言えば、音楽聴きてえな と思った時にCDラックの前で悩む時間が増えるという事であったり

色々な素晴らしさを知る事で人間的に丸くなれるんじゃないかっつう事だったりする。

例えばミスチルのアルバム10枚聴くのと、

ロック、ジャズ、フォーク、レゲエ、パンク等のオールジャンルからの名盤10枚聴くのとでは

ミスチルを10枚聴いている方が人間的に尖っていると言えるっつうのは、

つまり、ミスチルを10枚聴いても音楽に詳しくなれる訳では無く

それはただミスチルに詳しくなった というだけの話である訳で、

それは音楽好きでは無く、ただの信者である。

そして今の日本の音楽業界は、音楽好きを増やすのでは無くいかに信者を増やすかに四苦八苦しているかの様に映る。


CDラックの前で悩む時間 というのは、

今の自分にジャストフィットしたものを探し求める時間であり、

結局のところ、音楽はTPOに合わせて消費されるものなのである。

例えば、海に車で向かう なんつう時にサザンオールスターズを聴く

なんてな行為は実に全うなものであるのだけども、

逆に言えば、普段からサザンオールスターズしか聴かない様な人間は

ほっといたらサーファーになっていた みたいな事が起こり得る。


Perfumeナチュラルに恋して」が素晴らしいのは、

一つ、PVがこの曲を聴くべき瞬間をちゃんとプロモーション出来ている事にある。

3人が街を歩く というだけのものであるが、

この曲は歩く時に聴いて欲しい というメッセージが明確にあるのであって、

その部分に私の考え方と共通するものを感じる。

歩く という部分に焦点を当てて私は曲を良く書くのだけども、

それは一日の多くの時間私達は歩くからであり、いつでも聴いて欲しいという思いからである。


例えば、丁度1年前に恋人が死んだよ というロードという曲があるが

我々の人生において、丁度1年前に恋人が死んだなんてな出来事はあまり無く

残念ながら私が今後あの曲を自ら聴きたいなんて思う事は、

丁度1年前に恋人が死んだ時であり、そんな時がそうそうあってたまるかという呪われた楽曲であって

そういう観点から言っても、みんな音楽を聴かなくなったっつうのも

今の気分を歌う人間がいなくなった と見る事も可能で

恋愛の歌が世の中腐る程あるのは、人生がそれだけ色恋沙汰で溢れているからなのだけども

私は今後とも、ただ歩く というだけの曲を書いていきたいのだけども

ここ最近移動は専ら自転車である。