デリック・ホッジ「リブトゥデイ」感想
音楽を聴いて久しぶりに感動したっつうのは、
真面目に音楽に取り組んである同時代の人間がいるっつう心強さで
勿論音楽っつうのは、一時の快、不快だっつう部分であーだこーだ聴く方がある一方
本気で新しい何かっつうのをひたすら求める求道者的探究心の賜物でもあって
何年も前に聴いたロイ・ハーグローヴのRHファクターがあって
それを聴いた時、これから先 このやり方でしか新しい音楽は生まれ得ないだろう
なんてな感触があって、そして実際にそれをやり遂げる人間が出てきた事に
悔しさと切なさと心強さを感じている。
黄色いジャズの本にも書いてある通り、
ロバート・グラスパー周辺での動き、ニューヨークを中心としたブラックミュージックの隆盛は
ドラマー、クリス・デイブの力が非常に大きい。
つうのも、そこに確かな技術革新がある事で生まれた説得力は半端無い。
例えばギターというものは、様々な音を模倣し様々な音を生み出す事で
その時代時代に新たな息吹を感じさせてくれたのだけども
ワウワウギターを使って赤ちゃんの鳴き声を模倣したり、
エレキギターを弓で擦ったり、タッピングだスラップだという技術を発明したりと
そういった技術的な先進性が音楽を先に進めてきてあって
それがキーボードやシンセサイザーの登場で一気に動きを鈍くしていく。
クリス・デイブが繰り出す2台のターンテーブルのズレの感じだとか
あたかもドラムだけサンプリングしたかの様に微妙にBPMがズレていく感じとか
その辺りのドラミングが何故に革新的かというと、
その技術のルーツがサンプリングミュージックにあるというところと
ドラマー=タイムキーパー という概念を覆したところにある。
今までのバンドであれば、ドラムが微妙にBPMを上げた場合
他のメンバーはそれに追随する他無かったのに
クリス・デイブがそれをしても他のメンバーは元のBPMを維持するのである。
それによって、本来リズムがズレるという事は
演奏が稚拙であるから、リズム感が無いからという理由で忌避されてきたのに
そのズレを楽しむ事が可能になった。
これは、DJ文化が完全に根付いた証拠でもあり
バンドという形態の新たなリスニングの可能性を提示せしめている。
音楽は、束縛の中に自由を構築するもので
ジャズではつとに自由である事が重視されてきた。
「カインド・オブ・ブルー」が永遠の名作として約束されているのも、
その概念がジャズの求める自由と完全に合致するからである。
トニー・ウィリアムスの様な化け物ドラマーがいる影には、
地味なロン・カーターというベーシストがいる。
クリス・デイブの様な怪物の影にはデリック・ホッジがいる。
がデリック・ホッジは素晴らしい名作をものにした。
「リブトゥデイ」1曲目は正に革新的な出来である。
元来ジャズは横ノリだけで頑張ってきた。
ブラックミュージック全般がそうと言ってもいい。
しかし1曲目のBパートから感じるグルーブはどう聴いても縦に走っている。
ドラムも別に2拍、6拍にスネアを入れている訳では無いのに
実に不思議だ。
そして音楽を聴いて不思議だなと思ったのは、実に久しぶりの感覚で
多くの人にこの名盤を聴いて貰いたいなあと思うのだけども、
ブルーノートから私に一銭もお金が支払われる事は無い上に、
むしろ2500円払ったのは私の方であって、
惚れた方が負け 的な悲しさに今打ちひしがれている。