ジャズである事の必然
2000年代に入りロックは、音響系からポストロックと経てストロークス等のリバイバルを迎え
完全に停滞した。
同じ頃ジャズは、マイルス・デイヴィスを90年代に無くして以降
コンテンポラリー・ジャズを間違いなく経たはずなのにいつの間にかその先に行けず、
閉鎖的なリスナーと権威主義的な音楽雑誌に踊らされ空白の10年を過ごしてあった。
黄色いジャズの本を購入した私がロバート・グラスパーの記事に目を通すと
最初の一行は、今彼が何を聴いているのかのインタビューから始まっていて
私はそれだけで良い本だな と思った。
糞みてえな日本のうんこジャパンみたいなファッキン雑誌が、
いかにこのアーティストが凄いか、いかに最高傑作の今作を作る事になったのか
みたいな事で音楽のおの字も知らない中高生から大学生を騙す事にだけ必死の雑誌と比べて
実に誠実な出だしであるな と私は感動した。
今現在、ジャズとカテゴライズされている音楽は、聴けば分かる通り
黒人音楽 程度の意味しか持ち得ないのであるけども、
そこにはブルーズ、ソウル、ヒップホップ、R&B、ファンク、ゴスペル等の境界を緩やかに超えていこうとする意思と
ジャズを経た人であるという事が担保されているだけであって、
ジャズとあえてカテゴライズする意味は無い様に思える。
がしかし、
日本の就職事情を見ても分かる通り
最も大事なのは、ジャズを経たという事。
これが単純に旧帝大卒業程度の意味を今獲得してあって、
昔からのイメージであるジャズって難しそうってな負の要素が今は完全に逆転し、
難しいジャズを経たからこその信頼性に繋がっていくのは遠い日の花火では無い。
技術の無いジャズメンはそれはもうジャズメンとしてほとんど試合終了であるし、
知識の無いジャズメンはそれはただのジャズメン見習いであって、
ではジャズメンはどこで技術、知識を研鑽していくかというと
学校。大学。
つまり、ジャズは最早一般的な進路であり
芸術系の学科の一つみたいな位置づけになるのは間違い無いのだけども
たぶん私は筆記試験で落とされる側の人間だろうね
残念!