音楽の事だけ来る日も来る日も考えてるのである
東京は渋谷でジャズメンとお茶をした。
バンドだ、ライブだ、ライブハウスだと言っても本当に音楽を好きな人っつうのは
実際数が少なく、故に音楽を好きな人と話をするというだけで結構テンションが上がるのであって
また私の人生史上ジャズメンなんて周りにおらず興味津々であった。
ざっくり言うと、ジャズの外にある私の認識はジャズの中にいる人のものと齟齬は無く
話はこれからの音楽事情なんてな事になったりして
僕達ネガティブな事ばっかり言ってますね なんてな塩梅であったが
これから音楽の頂きを目指していく人と話をしたのは単純に楽しかった。
私は今まで散々ビートルズの凄さを様々な角度でここに書いてきたが、
それはビートルズの音楽が誰にとっても100点であるという事では決して無い。
私にとってもビートルズの音楽は、85点〜95点の間にあって
神様という感じは全く無い。
が、完璧では無い と感じるからこそ世界中でたくさんのフォロワーを生んだのであって
私が中学生の頃 読んだものの本によると
「ある音楽を聴いて、自分ならこうするのにと思った人はそれを全部覚えておくといい。それが音楽家としての君の核になる」
みたいな事で、
つまりは超感覚であり、美意識であり、それこそが個性であって
完璧では無いからこそこっちがそれを補完したくなるような罠で、
そこにインスピレーションの元が確かに存在する。
カーティス・メイフィールドのムーブオンアップを聴いて激しく動揺するのは、
私ならいずれこうしたであろうそれが、もう既に確かに存在してある事で
非常にやられた感が強く、しかも一捻り加えたコードの土台がシンプル故に他の新手を全て封殺する勢いで
私ならこうする というそれを全部やられた気持ちで
だからこそ私は今それを乗り越えるべく日々アイポッドを貪るのだけども、
私がおっさんになったからか、5000曲の中で聴くのは慣れ親しんだ音楽ばかりで
レッド・ツェッペリン→マイルス・デイヴィス→自分の曲→キャロル・キング
みたいな感じで悲しい。
カナブーンだゲスの極みなんたらだ旧ソ猫をなんたらだと新しい人達もたくさんいるが
ミュージシャンはそれを聴いてないのだよなあ というのが90年代と今の違いであろうか。
プロが聴いても楽しめる音楽がポップミュージックの本流には既に無く
故に新しい人たちがステージを上げて活躍するという事も決して無く
その多くが相対性理論の様に消費されてしまう中
私は私で幾何学に取り組む学生の様に、一人部屋で黙々と自分に聞いている。
作りたい音楽はあるか?と。
それを探すのが私の音楽の旅なのかなと昼の月。