オール・ユー・ニード・イズ・キル感想

メイドもののアダルトな性的動画を拝見していると、

段々と主従が逆転していき、最終的には男性が奉仕奉仕でまた奉仕となって

どっちがメイドだか良く分からんみたいな状態になりがちで、

そう考えるとこの世界の事も見えてきて、

為政者は民草を上手に管理して、自らが率先して足首に枷を嵌める様に仕向けていかなければならぬし

又それを悟られてもならぬものよなあ 大奥。なんつって、

蜂の社会も女子が統治してあるし、女子万歳。十二楽坊万歳ってって

性的衝動も霧消。

愛は消えて、破壊衝動。殺す。っつう訳で、

オール・ユー・ニード・イズ・キル」を観てきた。


ループもの という設定自体好物であり、

マイノリティ・リポート」「オブリビオン」なんかのトム・クルーズとSFってな作品も好きで

監督も非常に好きで、フィリップ・シーモア・ホフマンも口に出して呼びたい俳優であって

条件は揃った。ってな感じだった。


映画が終わってロールが流れる時に、フィリップ・シーモア・ホフマンの名前が無い事が意外だったのだけども

全然違う人だった。

この映画の人はどうやらブレンダン・グリーソンとか言うらしい。(上)

しかしながら、鑑賞中の私は

やっぱシーモアホフマン(下)はいい。役者が違う。オーラがある なんてな事を思い

気分を良くしてあって、故にエンドロールでやや気分を害したのであった。


序盤のループが3回程繰り返された時点で、

構造的に漫才の歌ネタの様な感じだなあ と思っていたのだけども、

途中から経過を大胆に編集し始めた辺りで、いや違うなと気付き

これはファミコンのプレイ動画だな と思った。

原作はライトノベルだというし、きっとそういったものが着想の原点にあるのだろうなと思い

構造的に面白いと私は歓喜した。

映画史上ここまで主人公の命が軽いなんつうのは無かったんじゃなかろうか。

スーパーマリオで死んではリセットを繰り返す行為がそのまま再現されてあって、

これは完全に「覚えゲー」だなあ と愉快になった。

物語が進むにつれて、他のループ系作品と大きく異なる点が見えてきたっつうのは

アホみたいに死ぬ事が繰り返される事で、

今現在ループの何回目か分からない という点であって、

それがこの物語の奥行きを一つ深いところに推し進めている気がした。

また、前半部で

死というものの扱いを非常に軽く描く事で、

人間にとっての死がこれ程コミカルになるのかと新鮮で

それが逆にループから一旦抜けてしまうと、

逆説的に死が非常に重く感じられるという仕組み、仕掛けであって

物語の構造が実に良く出来てあって、

良い。


本当は、フィリップ・シーモア・ホフマンが良かった と人に言いたかったのだけども

それを抜きにしても良い作品であった。

あと、女優が段々と吹石一恵に見えてくるという仕掛けもあって

それもとても効果的だった。