6月16日 朝からライブ前まで

起きろ 起きろ と鬼軍曹の声で目を覚ますと、湯気の立った珈琲とトーストがあって

寝起きの良さで笑いが取れるレベルの私は、私の起こし方を知っているなあと思いながら

すぐに現世に降臨した。

時計は10時、練習は12時半からだと言う。

2時間も練習したらライブはきっと上手くいくであろう そう言うと、

3時間ですが 何か?と言われ、なげーよと思った。

体の疲れは最早ピークに達してあり、喉の調子も万全という訳では無かった。

喉は消耗品である。


仙台を発つ前に「スーパーラバー」という曲をやるので、そのつもりで夜露死苦

何てな事を言われて、キーが高いから無理と言ってあったのだけども

初日にまあとりあえずやってみようぜ と言われてやってみたところ、

サビの出だしがアホみたいに高い曲であり、無理して歌うと声を飛ばす可能性が高く

案の定喉への負荷が大で、私はきっぱりとこの曲はライブでやらないと宣言した。

私の喉は守られたと誰もが思った。

次の日、AC/DCはっぴいえんどを融合させた曲が生まれた事で

それは甘い期待であった事が発覚した。

AC/DCのリフを弾き、AC/DCの様なドラムを叩かれると

最早気分はAC/DCになるっつうのは世の中の真理であって、

私は度々、メタルボイスでバック・イン・ブラックをそのまま歌った。

というか、バック・イン・ブラックをそのまま歌う誘惑に負けてしまった。

ためを効かせてギターのリフを弾いていると

段々と絶妙なネタ振りみたいな感じがして追い込まれていき、

私がAC/DCの真似をして歌うまでを1セットにしたネタの様な有り様で、

「絶対に普通に歌えよ」と言われれば言われる程、

私はAC/DCになりきってシャウトした。当然、喉は消耗していった。


最後の練習を終えた時、私達は最早疲労のピークを超え

ライブハウスに向かう足は重く、ハードケースに入ったギターも重く

気持ちも重く、渋谷は坂が多かった。


リハーサルを終えてアフロ氏がスティックを買いに行くという事で後ろを付いていくと

キャンドゥという100円均一のお店に着いた。

ひと通りくすぶった私達は、そういえば物販が無いなあと気づいた。

一人一品持ち寄ってそれを物販にしようという訳で散会し、店内を見て回った。

私は硬式野球のボールにサインをしてそれを物販とする事にしたが、

キューバ人は、托鉢で使うお布施を入れるに適した様なお椀を持ってきた。

アフロ氏は写真を飾る枠みたいなのを持ってきたが、意味が分からなかった。


箱に戻り、キャッキャウフフとボールに何てサインしようか

なんてな感じでくすぶり、結局ボールには

「ホームラン王 girl 2014,6,16」と書いて値段は1000円に決めた。

アフロ氏が買った木の枠にボールが丁度はまると、少しだけデラックス感が出た。

横にキューバ人の買ったお椀を置くと、何とも形容し難いふざけた空間が出来上がった。

テーブルに並ぶ他のバンドのCDやなんかの物販の中で、

私達の場所は完全に舐めきった感じで最もロックンロールしていた。

他のバンドの人に、

「いつもサインボール売ってるんですか?」と聞かれたが、心の中でそんなバンドあるかよ と突っ込んだ。


ライブ前の30分の間に、私の師匠でありギターも貸してくれた竹内さんと、

初代girlのメンバーであり、一緒に車を燃やしたスワン白鳥が来た。

久しぶりに見た彼は完全にナオト・インティライミだったので、

「記憶の中の君はロバート・ダウニー・ジュニアだったのだけども」

「今日の君は・・・」と丁寧にネタを振って笑いを取ろうとしたのだけども、

ナオト・インティライミじゃねえよ」と先手を打たれたので悲しかった。

久しぶりに会う友達に私の心は少しだけほぐれたが、

肉体は疲労の極地にあり、体が重くて重くて仕方が無かった。

そしてそれを隠すだけの精神的余裕も無かった。


ライブ5分前、我々は痛い痛いと絶叫していた。

人知れずステージの裏では、じゃんけんしっぺ大会が開催されていた。

天才型のサディスト、アフロ氏は様々な理由でこの大会を主催する。

そしてそれは私がじゃんけんに負けるまで続く。

サディストのアフロ氏ばかりか、

キューバ人も、ベースを演奏する際に最も使うであろう右手の指2本で渾身のしっぺをする。

それが、私達のバンドにとっての円陣の様なものである。


とは全く思わないが、私達3人は腕に出来たてのミミズ腫れを付け合いステージに向かった。

しっぺが痛すぎて最早緊張どころでは無かった。