お前のロリータと俺のロリータでは概念が、いや観念が、いやコスモが違う

うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、食べるならどっち

とかつて我々国民を二分させる究極と思われる設問があった。

しかしながら、所詮小学生と言うべきか

うんこ味自体うんこを食べた事がある人しか分からない点で、

うんこ味のカレーを選択した時点で、それが擬似的なうんこ味初体験であるという部分で

一見うんこ味のカレーを選択する方がリスキーな雰囲気であるものの

立ち止まって考えれば分かる通り、

カレー味のうんこというものは、どう考えてもそれはうんこであって、

一旦未来から過去を振り返ってみる という思考をすれば話が簡単で

カレーを食べたらうんこの味がした という事と

うんこを食べたらカレーの味がした という文章を吟味すると

どちらがより衝撃的な内容かといえば、当然後者なのである。


これはボケとツッコミという立場で考えるとより分かりやすい。

ボケ「カレーを食べたら」

ツッコミ「ほうほう」

ボケ「うんこの味がした」

ツッコミ「うんこ食った事あるんかーい」

髭男爵「ルネッサーンス」

となって前者は笑いとして成立するが


ボケ「うんこを食べたら」

ツッコミ「え!?ちょっと待って、うんこ食べたの?」

ボケ「ん?何?食べたよ」

ツッコミ「ちょちょ、ちょっと待って、なんでなんで?」

ボケ「いや、まあそれはいいから」

ツッコミ「いやいやいやいや、良くない良くない。なんでうんこ食ったの?」

となって、カレーの味がしたというオチにいけない。

というか、既にうんこを食ったの時点で落ちているとも言える。


最近AV女優がトゥイター等で、AV女優の地位向上を目論む発言が散見され

曰く、職業に貴賎無し、誇りを持って云々、必要悪みたいな事で

蔑むな、同情するなといった主張がありそれ自体は実に真に迫った

人間の実存に抵触する崇高な主張だと思う。

私達は可哀そうでは無いというメッセージは、現在に依るのだけども

そもそもの立脚点が違う。視点が違うなと言うのは、

AV女優だから云々では無く、

その経緯、そうせざるを得なかった状況、それをするまで追い込んでしまう環境

どうしてもその部分を慮ってしまう人間の優しさというものがあって、

優しさというものが、相手の立場になるという事を出発点とするならば、

それを無視するのはフェアではないし、

女優も同情するなと言ったところで、

それに至る経緯を無視して語ったところで、

議論が平行線を辿るのも仕方無く、

私は可哀そうでは無い と大きな声で叫ぶ事

それ自体が可哀想な状況なのであって、

あなたが可哀そうじゃないのであれば、周囲の人はきっとそう扱うのであろうし

それ以外の世間に対して、私をこういう風に見てと表明したところで

そもあなたの表面的な極々一部分だけしか見れない私達には、

あなたの全てを理解する事など到底不可能で御座いますと

そういう風に考え、日々感謝。賢者になり言い訳をしている朝。