難解な映画なんかいな

私の映画の視聴スタイルは、ブレンドスタイルを元にして色々決まりがあるが

まずブレンドスタイルとは、親父である事と太陽の子供である事を上手にブレンドした状態であり

これの命名は、私の親友奈良岡氏によるものであり詳細は不明なのであるけども

簡単に説明すると横になった姿勢でビールを飲みながらテレビジョンで野球観戦をする状態の事を指して

彼はブレンドスタイルと呼んでいたのは記憶しているのだけども、

その際、何と何をブレンドした状態であったかを今現在完全に失念した為

上気に記した通り、親父と太陽の子供というものをでっちあげたのであるけども、

それは実際は、ビールと枝豆であったかもしれないし

巨人と阪神かもしれないし、

テレビジョンと私であったのかもしれないが、

要するに完全に脱力、弛緩した状態であると思って頂いて構わないのだけれども

家で映画を観る際は、極力疲れないやり方で私はこれをしている。


そして次の決まりは、

事前情報を一切頭に入れないで観る事。

何だかんだで、出会い頭の一発というものの破壊力は凄まじいというのがあって、

本来映画というものは、事前に情報を入れずとも理解出来るように作ってあるものであり

情報を知れば知る程に映画はそれに応じて詰まらなくなっていくのが普通で、

事前に知っておいて問題の無い情報は、

監督、ジャンル、題名、主演、賞レースの結果くらいのもので

あとの情報は知れば知るほどに楽しみが失われると考えていい。

例えばヒッチコックの「裏窓」なんかでは、

冒頭に一瞬カメラが部屋をなめるだけで、その人物の職業等の情報を我々に与える様に作ってあったり

例えば2回観たからとても良く覚えている「RED」では、

冒頭で、6時きっかりに目を開けるブルース・ウィリスから始まるが

この場面だけで、彼が軍人かそれに類する職業である事を暗示し

几帳面な性格や完璧さを自分に求めるような人物である事を表現していて

その間一切の言葉が無くても映像だけで分かる様に作ってある。

ホラー映画では怖い場面は、音楽で教えてくれるし

映画というものは、説明をくどくどしなくとも様々な情報を我々に与える。

ところが、それでも難解と言われる映画はたくさんある。

「2001年宇宙の旅」も「メメント」も「インセプション」も全く難解だと私は思わないけれども

今しがた観た「裏切りのサーカス」は難解だった。

この何となく分かった様な感じはするけれども、途中途中完璧に把握出来ていない感じ

これは劇場で「LAコンフィデンシャル」を観た時にも感じたもので、

監督が意図した感覚では無いのが非常にもどかしいというか、むかつく。

というのも、この映画では容疑者は5人あって

ファーストネーム、セカンドネーム、あだ名の3つの呼び方で様々に呼ばれるので

映画を観ながらに、それ誰やねん と一々私はツッコミを入れ

結局、誰一人のフルネームも覚えられないままに何となく観終わってしまっていて

勿論主演のゲイリー・オールドマンとその相棒と敵のボスの名前くらいは覚えられたのだけども

映画が始まってすぐのキャスト紹介のロールで

コリン・ファレルという名前を見たはずなのに、一向に出てこないのは何でなんだぜ?

等と思いながら鑑賞してあり、エンドロールで

コリン・ファースという名前を見つけた時に、

お前かーい とツッコミを入れる有り様であって、情けない。

そういう意味である程度登場人物が多かったレザボア・ドッグスなんかはとても優しくて

人物を色で呼んでいたっつうのは賢いやり方である。

混乱しなきゃ良い映画かというとそうではなくて、

デヴィッド・リンチの様な変態監督の場合は、あえて混乱する様に作ってあって

実際私の様なノータリンが観た場合、

あれ、さっきと名前変わってね? ん? どういう事? 入れ替わったの?

やべー、意味わかんねー、うわ、ついていけてんのか私は。。

と、こんな有り様になるのだけどもそれは監督がそれを狙っているのだから良いのであって

それを物語とは関係無い部分で鑑賞に支障をきたすっつうのは、

普段温厚な私も激おこぷんぷん丸。でも、面白かった。